ペトラ(ヨルダン)

岩壁から削り出したファサード(建物の正面のデザイン)は高さ40㍍、幅28㍍。大きく2層に分かれ、上段の真ん中にはひだ付きの天蓋をのせた円形の霊廟(トロス)があり、女神のような彫刻が施されている。左右には、2つに分かれた破風(はふ)が立っている。


下段にはコリント式の太い柱6本が彫刻された破風を載せている。ヘレニズム文化の影響を受けているというが、ギリシャの神殿のような印象だ。前1世紀~2世紀に造られたというが、正確な年代はわかってない。


「上から彫り始めたといわれています」とガイド。柱や彫刻を削り出すには相当な労力、財力、年月が必要だっただろう。豪華絢爛、といった感じではないが、ファサードに刻まれた彫刻も味がある。

ここがシークを伝ってやってきた街の入口になる。ペトラは交易の隊商に水や食料などを供給して1世紀ごろまで繁栄したという。106年にローマ帝国のトラヤヌス帝が攻めてきて、ローマ帝国の一部になった。
その後隊商路が変わったこともあって徐々に衰退し、6世紀に大地震に見舞われ、その後街が放棄されていったという。
1812年にスイスの探検家ジョン・ルイス・ブルクハルトによって欧州に存在を伝えられるまで、この街は秘密にされてきたともいわれるそうだ。見つけられた時はエル・ハズネの柱が倒れていたりしたという。


用途はわかっていないが、「宝物殿」とされている。ファサードの最上部、天蓋の上にある大きな壺に宝が収められていると思われたらしい。宝は見つかっていない。

以前は中に入れたが、今は入れなくなっているのが残念。それでも見上げるだけでも十分、見ごたえがある。


エル・ハズネの前に砂地の広場が広がっており、土産物店前にはいす、テーブルが置いてある。コーヒーを飲みながら、エル・ハズネを眺める。ゆったりとした時間が流れる。

岩窟墓のオンパレード

名残惜しいが、先に進む。シークの一本道を帰るのだから、その時にまた会える。エル・ハズネの右側にまた細い岩の裂け目があり、そこから奥へ進む。街があったペトラ渓谷に入っていく。すぐに「十七の墳墓」というエリアに出てその先は大きく開けている。

十七の墳墓の一帯

岩から削り出した墓はかなり大きい。穴が開いたところをのぞいてみた。何もなかったが、これだけ大きいので、街の権力者の墓なのだろうか。

進むと、土産物店などがある一角に出る。ペトラ土産で有名なのがサンドボトル。ペトラの岩が砂岩なので元々は砂。しかも地層ができた年代によっていろいろな色があるようで、色の違う砂をボトルに詰めて細い棒で砂をずらしていきながら絵にしていく。
売店のあたりが「ファサードの道」。ここでも、左手の岩山にたくさんの墓があり、彫刻などを施したファサードを持っている。

  1. この記事へのコメントはありません。