古都アユタヤ(タイ)

バンコク~バン・パイン~アユタヤ

鎖国されていた江戸時代から、日本人が住んでいた町がタイにある。日本人にもなじみのある古都に1999年、行ってみた。
バンコク(Bangkok)市内からのツアーに申し込んだ。バンコク市内から北へ1時間半~2時間ほど、高速道路をすっ飛ばす。途中で、アユタヤ郊外にある歴代の王が夏の離宮として使っていたバン・パイン宮殿(Bang Pa-In Palace)に立ち寄った。

現在の建物は王朝滅亡後に再建されたもので、けっこう派手な建物が並ぶ。タイ風、中国風、西洋風などなど。一番おもしろかったのは、象や鳥に剪定された庭木だった。

屋外に安置されている仏像

さて、アユタヤ(Ayutthaya)に入る。9月だったが、ムッとする暑さ。「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン(Wat Yai Chai Mongkon)」に入る。
ワットは寺院のことで、この寺院はアユタヤでも一番古いとされている。ガイドの後ろをついて、屋根がない建物のようなところに、突然「涅槃(ねはん)仏」が現れる。

黄色い布がかけられている。目が大きく、しかも笑っている(微笑んでいる、のだろうか)。20㍍ぐらい。足もでかい。でかいといえば、この涅槃仏の背中の向こうにそびえる仏塔。高さ70㍍ぐらいあるそうだ。


途中まで階段を上って中に入ることができる。ここにも黄色い布をまとい、微笑む座像が鎮座している。石像とはいえ、雨も多そうな土地なのに、屋外に安置されている。


寺院に上るのに汗をかくが、中に入るとちょっとひんやりしていて気持ちがいい。参道には石仏が並んでいるが顔のないものが多い。
名前に意味は「勝利の寺院」というそうだ。14世紀ごろにアユタヤ王朝創設者のウートン王によって建てられた。16世紀にアユタヤの独立を記念して、今の名前になったという。

金箔をはがされた仏塔

続いて「ワット・プラ・シー・サンペット(Wat Pra Srisanpet)」に。アユタヤに行くツアーのパンフレットに必ず登場するのが、この寺。3基のスリランカ様式の塔(チェディ)が一直線に並ぶ。夜はライトアップされるという。


付近は史跡公園になっていて、階段で途中まで上っていける。アユタヤ王朝は14世紀半ばから35代、18世紀半ばまで栄えた。


ここは王室専用寺院で、15世紀に、ラーマーティボーディー2世と父と兄の墓だったそうだ。もともとは金で覆われており、純金の仏像もあったとガイドが説明してくれた。王朝が終わりを迎えた18世紀半ば、ビルマ軍との戦いに敗れた際、金ははがされ、仏像は持ち出され、寺院などもすべて焼かれたという。いまあるのは、その後に再建されたものだという。


公園の入り口から入って一番右側の塔のテラスのようなところから下を見下ろす。レンガで造られた建物も残がいが広がる。これがかつての王宮跡だという。これもビルマ軍に破壊されたらしい。


どんなりっぱな街でも戦に負けると焼け野原。やっぱり昔から戦争の後はこうなってしまうのか、とぼんやり眺めていた。公園内では修復作業が行われていたので、20年たつとかなり進んでいるかもしれない。

山田長政が歩いた街

ワット・プラ・シー・サンペット寺院の横に現在の寺院があった。人がひっきりなしに入っている。ガイドが「お参りしますか」。ごった返す中で手を合わせた。
続いて「おみくじはどうですか」。買ってもらったが、タイ語で書かれていてさっぱりわからなかった。
古都らしく、そのほかにも見どころはたくさんある。ワット・プラ・シー・サンペットのすぐ近くに、アンコールワットの塔に似て丸みがあるクメール様式の「ワット・プラ・ラーム」があり、初代王の菩提寺だったという。
菩提樹の根に包まれた仏頭がある「ワット・マハタート」が有名だが「今回は見られません」とガイドが言っていたので、修復でもしていたのだろうか。少し郊外には30㍍近い涅槃仏が野ざらしになっているところもあるという。
忘れてはいけないのが、戦国時代から江戸時代に変わるころ、17世紀に山田長政ら渡ってきた日本人が日本町をつくっていた。詳細は他の譲るが、長政の死とともに日本人町も破壊されて何も残っていないそうだ。当時はアユタヤ王朝の信頼を受けて貿易を取り仕切っていたという。
現在もこの地に日本企業が進出しているという。何か因縁、地縁を感じる。

1991年登録

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