ペトラ(ヨルダン)

ワディ・ムーサ~ペトラ入口~シーク~エル・ハズネ~ペトラの墓群~ローマ遺跡~エド・ディル

「インディージョーンズ~最後の聖戦」でクライマックスシーンの舞台になった巨大遺跡をご存知の方も多いだろう。ラストシーン、ハリソン・フォードとショーン・コネリーのインディ(インディアナ)父子が馬で駆ける切り立った崖に挟まれた狭い道。これらはペトラにある。2018年、行ってみた。
「ワディ・ムーサ」がペトラを訪ねるための拠点の街になる。「モーゼの谷」という意味だそうだ。街には「モーゼの泉」もある。あのモーゼのことで、エジプトを出たモーゼ一行が岩から湧く泉でのどを潤したという。
バスで15分も行くと、ペトラの入口に着く。ここからはずっと歩きになる。馬車や馬、ロバといった「乗り物」もあるが、乗り換えも必要だし危険もあるので、頑張って歩くことにしよう。

ペトラにつながる道

2000年前に栄えたナバティア人の街

広い谷間の道を歩き始める。左右には岩山があり、緩やかに下っていく。「ここは精霊の岩、ジン・ロック(ブロックス)といいます」とガイド。右手に四角く削られた岩が3つ。紀元前1世紀ごろに造られた墓の跡だという。

ジン・ロック(精霊の岩)

ジン・ロックの先に、岩壁に文字が刻まれている。「ペトラを築いたナバティア人の文字が書かれています」という。アラビア語の方言だというが、なんとか書かれているかはわからなかった。

向かい側、左手の岩山に巨大な四角錘の塔が4つ、立っている。エジプトのオベリスクに似ていることから「オベリスクの墓」と呼ばれる。1世紀に造られたといい、岩壁から削り出されている。かなり上にあるので、高さの感じがつかめない。
オベリスクの墓の下側は「トリクリニウムの墓」という。岩に柱のようなものが削り出されていて、一番下に大きな穴が開いている。ガイドによると内部には椅子が削り出されているという。「墓」とつけられているが、用途ははっきりしない建造物らしい。

オベリスクの墓(上)とトリクリニウムの墓(下)

こうした岩を見ていくうちに、谷はだんだん狭くなっていく。ブラブラ歩いて30分ほど、目の前が岩で行き止まりのような場所に出る。干上がっているが、川がある。
ここからがペトラ本番。岩山に裂け目がある。「シーク(シク)」という切り立った断崖の挟まれた細い道が、岩山の中に向かって伸びている。

シークの入口

インディ父子が駆け抜けた道

シークに入った。両側の岩壁はほぼ垂直に切り立っている。元々は川(ムーサ川)が流れていて、岩壁を削って細い裂け目ができたという。今歩いているのはかつて川底だった。人工的に流れを変えて、入口で見た川ができた。岩壁には元々川に流れ込んでいた裂け目があり、堰を造って道に水が流れ込まないようにしている。

このシークの先、2㌔ほどのところにペトラの街がある。街に入るにはこの狭い道しかないのだから、天然の防御になっている。岩山の上に見張りもいたらしい。

道幅は5~10㍍ほど。左右の崖の高さは50~60㍍ほどはあるだろうか。ここがインディ父子の駆け抜けた道だ。
岩壁を見ると、地層の筋がみえ、色もさまざまあってきれいだ。主に砂岩で、かつては海の底だった。波が削ったようなところもある。

岩壁には樋のようなものが刻まれている。「ナバティア人の水利システムで、街まで水を引いていた水路です」とガイドが説明した。

岩壁には浮彫の彫刻がたくさん刻まれている。「ナバティア人が信仰していたドゥシャラ神が彫られています」という。多くは風化で薄くなっているが、道のわきに「ドゥシャラ神の祭壇」が残っていた。

ドゥシャラ神の祭壇

ナバティア人はアラブ系の遊牧民で、紀元前6世紀ごろにペトラに定住を始め、アラビア半島からトルコやエジプトへの交易路の中継地として要所に当たったことから、1世紀にかけてペトラの街を発展させたという。
くねくねと曲がりながらほぼ平坦なシークを行く。左右の岩壁や彫刻などを見ていると、あきないで歩ける。風化が進んでいるが、ラクダを引いた交易隊商の彫刻なども残っている。結婚の誓いをする岩などもある。

隊商とラクダの彫刻

「ちょっと道の右側に寄ってください」とガイド。岩壁にまた何か彫刻でもあるのかと思ったら、そのまま岩壁沿いに進む。曲がり角にきて「ここで、左に移りましょう。前をよく見て」。
数歩、左に移動すると、岩の隙間の先、突然視界が開けて巨大な建物の一角が細く見える。ガイドの演出。ペトラの街の象徴、「エル・ハズネ(カズネ)」にたどり着いた。

赤く輝くエル・ハズネ

「エル・ハズネ」が目の前にそそり立っている。午前10時ごろ、朝の太陽の光を浴びて赤っぽく染まっている。思わずため息がでる。「インディ~」で見たものと同じものが目の前にある。シーク入口から40分ほどだったが、期待感もあるのでさほど長く感じなかった。

岩壁から削り出したファサード(建物の正面のデザイン)は高さ40㍍、幅28㍍。大きく2層に分かれ、上段の真ん中にはひだ付きの天蓋をのせた円形の霊廟(トロス)があり、女神のような彫刻が施されている。左右には、2つに分かれた破風(はふ)が立っている。


下段にはコリント式の太い柱6本が彫刻された破風を載せている。ヘレニズム文化の影響を受けているというが、ギリシャの神殿のような印象だ。前1世紀~2世紀に造られたというが、正確な年代はわかってない。


「上から彫り始めたといわれています」とガイド。柱や彫刻を削り出すには相当な労力、財力、年月が必要だっただろう。豪華絢爛、といった感じではないが、ファサードに刻まれた彫刻も味がある。

ここがシークを伝ってやってきた街の入口になる。ペトラは交易の隊商に水や食料などを供給して1世紀ごろまで繁栄したという。106年にローマ帝国のトラヤヌス帝が攻めてきて、ローマ帝国の一部になった。
その後隊商路が変わったこともあって徐々に衰退し、6世紀に大地震に見舞われ、その後街が放棄されていったという。
1812年にスイスの探検家ジョン・ルイス・ブルクハルトによって欧州に存在を伝えられるまで、この街は秘密にされてきたともいわれるそうだ。見つけられた時はエル・ハズネの柱が倒れていたりしたという。


用途はわかっていないが、「宝物殿」とされている。ファサードの最上部、天蓋の上にある大きな壺に宝が収められていると思われたらしい。宝は見つかっていない。

以前は中に入れたが、今は入れなくなっているのが残念。それでも見上げるだけでも十分、見ごたえがある。


エル・ハズネの前に砂地の広場が広がっており、土産物店前にはいす、テーブルが置いてある。コーヒーを飲みながら、エル・ハズネを眺める。ゆったりとした時間が流れる。

岩窟墓のオンパレード

名残惜しいが、先に進む。シークの一本道を帰るのだから、その時にまた会える。エル・ハズネの右側にまた細い岩の裂け目があり、そこから奥へ進む。街があったペトラ渓谷に入っていく。すぐに「十七の墳墓」というエリアに出てその先は大きく開けている。

十七の墳墓の一帯

岩から削り出した墓はかなり大きい。穴が開いたところをのぞいてみた。何もなかったが、これだけ大きいので、街の権力者の墓なのだろうか。

進むと、土産物店などがある一角に出る。ペトラ土産で有名なのがサンドボトル。ペトラの岩が砂岩なので元々は砂。しかも地層ができた年代によっていろいろな色があるようで、色の違う砂をボトルに詰めて細い棒で砂をずらしていきながら絵にしていく。
売店のあたりが「ファサードの道」。ここでも、左手の岩山にたくさんの墓があり、彫刻などを施したファサードを持っている。

ファサードの道の一帯

道を挟んで反対側、前方の岩山にひときわ大きな墳墓群が固まって見える。「王家の墓」と言われているエリア。また墓だ。たくさんあるようだが、大きなものでいうと、右から「アーンの墓」「シルクの墓」「コリンシアンの墓」「宮殿の墓」と名付けられている。

岩山を削って造られた王家の墓全景

「アーンの墓」はローマ以前の1世紀にここを収めていたマリコス2世の墓。アーンは骨壺という意味だという。2段のアーチの建造物の上に、4本の円柱を持つファサードがある。王家の墓に上って中に入ることもできるらしいが、時間の関係もあっていかなかった。時間と体力がある人は寄ってみては。

アーンの墓

その隣、ファサードの砂岩の縞模様がきれいなのが「シルクの墓」。赤、青、白、黄色など色とりどりの砂岩が縞状に積み重なり、絹織物のような柔らかな色合いから名付けられたという。

縞模様がきれいなシルクの墓

「コリンシアンの墓」はファサードの感じがエル・ハズネに似ている。エル・ハズネを横に伸ばしたような感じだ。ペトラ自体がギリシャ文明の影響も受けていたという。柱の形状が古代ギリシャで使われたコリント式に似ているということから名前が付けられた。

一番左にさらに巨大なファサードを持つ「宮殿の墓」。確かに宮殿のように削り出されている。下部には4つの大きな入口があり、上部は柱が並んでいる。その上にも何か削り出されていたのだろうが、だいぶ崩れてはいる。何人分の墓なのだろうか。

宮殿の墓

ペトラにはこうした岩窟墓が大小500ほど見つかっているという。大地震で神殿や住居などはほとんど倒壊したが、墓は頑丈だったらしい。「遺跡全体としてはまだ80%が見つかっていないとされています」というから、いくつあるか分からない。
家は?と聞くとガイドは「あのへんです」と洞穴のような穴がたくさん開いている場所を指さした。家の形はなくなっている。

ローマ併合時代の痕跡

いまのところ、エル・ハズネ以外は墓しか見ていない気がする。エル・ハズネも墓かもしれないのだが、このあたりからローマに併合された時代の遺跡が点在してくる。左手に「ローマ劇場」。約3000人収容の大きなもの。岩から削り出されているようだ。隊商を楽しませたのだろうか。

ローマ劇場、王家の墓の前を過ぎて、右手の丘を登った。中腹にある「ビザンチン教会跡」にはモザイク画が描かれた床の一部が残っている。

ビザンチン教会跡のモザイク

先には「翼を持ったライオンの神殿跡」がある。こちらは大地震の影響だろうか、ほぼ倒壊しており、壁と柱の一部が残っているだけ。柱にライオンが描かれていたのでそう名付けられたという。

そこから見下ろすと、メーンストリートや神殿が見える。丘を下りてメーンストリートに入る。エル・ハズネから来るのとは逆に見ていくことになるが、まずは「カスル・アル・ビント」「ファラオの娘の宮殿」という建物。壁は残っているがファサードは崩れている。宮殿ではなくドゥシャラ神の神殿跡だという。

カスル・アル・ビント

通りの真ん中には「凱旋門」。これも原型をとどめていないが、イタリアのローマに残っているさまざまな凱旋門とはちょっと形が違う。材質も大理石ではない。この地方の砂岩を使って造られたから、印象が違うのだろうか。

ローマ時代の凱旋門

右手(エル・ハズネから来たら左手)には「大神殿」。広さはわかるが、柱の一部が立っているだけで、神殿という感じはしない。先ほどの丘の上から見ても、広場か、競技場のようだ。

丘の上から見た大神殿

メーンストリートにはたぶん両側に柱が立っていたのだろう。「列柱通り」と呼ばれているところが、かつての通りの賑わいを想像させる。道の傍らには崩れた柱の残骸が残っていた。エル・ハズネから来ると、このあたりがメーンストリートの入口になる。

エド・ディルへの険しい道

メーンストリートを引き返してペトラ渓谷を先に進むと、レストランやトイレなどがある一角に出る。ここで昼食。周りの岩山にはやはり墓らしきファサードや穴がたくさんある。墓に囲まれての食事だ。ここから、最後の難関に向かうので、しっかり腹ごしらえをしておこう。
多くのツアーでは「希望者のみ」となっているのが、ペトラ峡谷の奥にある「エド・ディル(修道院)」。谷の断崖に造られた800段とも900段ともいわれる石段を上る。
「1時間ほどですから、行きましょう」とガイドは軽く言う。結論から言うと、きついことは確かだが、見れば疲れは吹っ飛ぶ。

エド・ディルに上る道

覚悟を決めて登り始めた。砂地の道から、石段へと変わって、つづら折りや、谷の岩壁に沿うように登っていく。普通にきつい。踊り場や道幅の広いところに土産店があって声をかけてくるが、そこまで気が回らない。ひたすら足を上に運ぶ。

きつい時は、周りの岩壁をみよう。色とりどりの砂岩の縞模様がきれいだ。途中に分かれ道があって遺跡が点在しているらしいが、こちらはエド・ディルに一直線。ときおり、谷間や登って来た方角の景色を見ると、少し元気になる。

縞模様を描く砂岩の岩壁

1時間ほど登って、目の前が開ける。広場のようなところの向こうに店が見えるのだが、肝心のエド・ディルは…右手を見ると、巨大なファサードが目に飛び込んでくる。どうだろう、疲れは吹き飛んだだろうか。


岩壁をくりぬいたとは思えない巨大な建造物。エル・ハズネのような優美さはないが、それでもファサードの細工は簡素ながらも左右対称で調和がとれている。


高さ40㍍、幅50㍍と横に広い。大きく2層になっていて、下部は8本の太さが違う柱が立っていて、大きく入口が開いている。中には入れなかったがのぞくことはできたが、何もなかった。

上部にはエル・ハズネ同様に壺を載せた円形の霊廟(トロス)があり、両側に2つに分かれた破風、両端が太い柱になっている。柱の上部の彫刻はどうやら羽のようだ。

1世紀ごろに造られた神殿らしいのだが、その後修道士が住んでいたということで、修道院(ディル)という名前になったという。元は中に入れたらしいが、転落事故があって今は閉鎖されている。中をのぞいたが、内部の扉も塞がっていて、修道士がどこに住んでいたのかわからなかった。

広場を挟んでエド・ディルを眺めながら、クッションを敷いた椅子に座ってコーヒーを飲む。ここでも至福の時が過ぎていく。どちらが先に造られたかはわからないが、巨大さから言えば、エル・ハズネよりも労力や時間がかかったように見える。店の裏手の少し小高い丘に登って見下ろすようにしてみた。午後3時を回ったところで、下山にかかる。冬の日差しはそろそろ傾き始めている。

全く表情を変えたエル・ハズネ

石段を下り(これも足にくるのだが)、凱旋門からメーンストリートを戻る。行きに見た「王家の墓」は斜めの日差しを浴びてくっきりと赤く見えている。再び、エル・ハズネに着いた。
この時間になると、もう日差しを受けていない。朝見たときは赤かったエル・ハズネだが、夕方になると白っぽくなる。印象は全く違う。やはり見るなら午前中、朝の光があるときがいいだろう。

夕方のエル・ハズネ

帰りを急ぐ馬車に追い越されながら、シークを引き返す。インディ父子のように、馬で一気に駆け抜けたかった。

1985年登録

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