
ペトラ(ヨルダン)

用途はわかっていないが、「宝物殿」とされている。ファサードの最上部、天蓋の上にある大きな壺に宝が収められていると思われたらしい。宝は見つかっていない。
以前は中に入れたが、今は入れなくなっているのが残念。それでも見上げるだけでも十分、見ごたえがある。

エル・ハズネの前に砂地の広場が広がっており、土産物店前にはいす、テーブルが置いてある。コーヒーを飲みながら、エル・ハズネを眺める。ゆったりとした時間が流れる。

岩窟墓のオンパレード
名残惜しいが、先に進む。シークの一本道を帰るのだから、その時にまた会える。エル・ハズネの右側にまた細い岩の裂け目があり、そこから奥へ進む。街があったペトラ渓谷に入っていく。すぐに「十七の墳墓」というエリアに出てその先は大きく開けている。

十七の墳墓の一帯
岩から削り出した墓はかなり大きい。穴が開いたところをのぞいてみた。何もなかったが、これだけ大きいので、街の権力者の墓なのだろうか。

進むと、土産物店などがある一角に出る。ペトラ土産で有名なのがサンドボトル。ペトラの岩が砂岩なので元々は砂。しかも地層ができた年代によっていろいろな色があるようで、色の違う砂をボトルに詰めて細い棒で砂をずらしていきながら絵にしていく。
売店のあたりが「ファサードの道」。ここでも、左手の岩山にたくさんの墓があり、彫刻などを施したファサードを持っている。

ファサードの道の一帯
道を挟んで反対側、前方の岩山にひときわ大きな墳墓群が固まって見える。「王家の墓」と言われているエリア。また墓だ。たくさんあるようだが、大きなものでいうと、右から「アーンの墓」「シルクの墓」「コリンシアンの墓」「宮殿の墓」と名付けられている。

岩山を削って造られた王家の墓全景
「アーンの墓」はローマ以前の1世紀にここを収めていたマリコス2世の墓。アーンは骨壺という意味だという。2段のアーチの建造物の上に、4本の円柱を持つファサードがある。王家の墓に上って中に入ることもできるらしいが、時間の関係もあっていかなかった。時間と体力がある人は寄ってみては。

アーンの墓
その隣、ファサードの砂岩の縞模様がきれいなのが「シルクの墓」。赤、青、白、黄色など色とりどりの砂岩が縞状に積み重なり、絹織物のような柔らかな色合いから名付けられたという。

縞模様がきれいなシルクの墓
「コリンシアンの墓」はファサードの感じがエル・ハズネに似ている。エル・ハズネを横に伸ばしたような感じだ。ペトラ自体がギリシャ文明の影響も受けていたという。柱の形状が古代ギリシャで使われたコリント式に似ているということから名前が付けられた。

一番左にさらに巨大なファサードを持つ「宮殿の墓」。確かに宮殿のように削り出されている。下部には4つの大きな入口があり、上部は柱が並んでいる。その上にも何か削り出されていたのだろうが、だいぶ崩れてはいる。何人分の墓なのだろうか。
この記事へのコメントはありません。