デリーのフマユーン廟(インド)


その形が4面ある。「シンメトリーになっています。2階、3階があるように見えますけど、何もなくてテラスになっているだけ。デザインとして造られています」とガイド。


ムガール帝国の始祖はバーブル。その長男がフマユーンで、小さいころから病弱だったという。バーブルが早世し、1530年に22歳で王位を継いだが、10年でデリーを始め父が広げた領土の大半を失った。
ペルシャやアフガニスタンなど15年にわたって流浪し、1555年にペルシャの支援を受けてデリーを奪回。領土を回復した。
しかし、喜びもつかの間、翌1556年に階段から落ちたのが原因で、3日後に死去したという。

初のペルシャ様式がタージ・マハルの原型に

この廟は、ムガール帝国2代皇帝のフマユーンの妃、ペルシャ出身のハージ・ベガムの発起によって造られた。正妻ではなかった。10年近く費やし、1565年にインドで初めてのペルシャ様式での廟が造られた。
中に入った。中央に棺が置かれている。「イスラム教にはお墓があります。ヒンドゥー教にはお墓はありません」とガイド。この棺は「レプリカです。本当の棺はこの真下の地下にあります」という。

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