青城山と都江堰(中国)

成都~青城山~都江堰

「地図に残る仕事」というCMのキャッチコピーを思い出した。2200年以上も前に、今に残る土木事業が行われた。土木技術力の結晶を見に2003年、行ってみた。四川省にある、水利施設「都江堰(とこうえん)」という。

くちばしで水の流れを変える

四川省を流れる岷江を見下ろす青城山。そこから眺めると、川の中に中洲がある。上流側の先端が、少し曲がってとがっている。
とがった部分は「魚嘴(し)」という。魚の口に似ている? でも嘴(くちばし)は鳥だよな、と思いながら、青城山を下りてつり橋「安瀾橋」を渡って、中洲に向かう。

この橋、縄を編んだつり橋のようで危なっかしく見えるのだが、縄の表面が破れたところを見たら、中は金属ケーブルになっているのでご安心を。


展望台のようになっていて、そこから魚嘴をみていると、先端ではぶつかった水が渦を巻き、左右に分かれるように流れていくのが分かる。魚嘴に向かって左が本流、右が灌漑(かんがい)用水路の灌江になる。


たったそれだけで、というところがミソのようだ。魚嘴と中洲のおかげで水流が調節され、通常は本流4、灌江6の割合に分けられる。増水時に増えた水が魚嘴を乗り越えて本流側により多くの水が流れ、灌江があふれないようにしているというから、嘴の効果は確かにあるようだ。
まら、農業用灌漑用水に利用して余った分は下流でまた本流に合流する。コンクリートを大量に使って用水路を作る現代の工事からみれば、なんとも自然に優しい。残念ながら? いまは本流側にダムが建設されている。


2008年に起こった四川大地震の記憶はあるだろうか。死者約7万人、行方不明者約2万人、多くの建物が被害を受けた。岷江上流のダムも損害を受けたが、この都江堰は魚嘴など水利施設に被害はなかったという。
自然災害への強さは、現代の技術ではかなわないということだろうか。


付帯施設として、魚嘴の上流に「百丈堤」という護岸、中洲上流にある「金剛堤」や、下流にある「飛沙堰」「人字堤」などで、流れを制御してしまう工夫がこらされているという。
建設当時は竹かごに石を詰めた、いまでいうテトラポッドを水中に沈めて水量や方向を変えていたといい、当時のものが青城山の廟(びょう)に展示してあった。こちらも「こんなもので」と、当時の智恵のすごさが分かる。

工事を行ったのは親子2代

この工事、紀元前3世紀に始まり、50年近くを要したという。周辺住民を指揮したのが、秦の蜀郡太守李氷とその息子李二郎。2代にわたる大工事だった。
始皇帝が中国を統一する前というから、壮大な話だ。現在は元々の位置から少し下流にずれ、魚嘴もコンクリートになっているようだが、構造的には当時のままで、もちろん現役だ。青城山に戻って散策した。


その李親子の偉業をたたえているのが、青城山にある「二王廟」。道教の神が祀られているのは、青城山自体が道教発祥の地の1つだからだという。建物も屋根の反りや彫刻などは仏教寺院とは違う感じがする
道教の詳細は他に譲るが、中国3大宗教(他に仏教、儒教)の1つで、老子や荘子の思想(老荘思想)と結びついた宗教と言われているそうだ。

二王廟の周りには、李親子の像を祀っている「伏龍観」や、都江堰を見下ろす「観瀾亭」など建物が森の中に点在している。


都江堰によって四川(蜀)は農作物に恵まれ「天府の地」と呼ばれたそう。三国志の時代、諸葛亮孔明がこの地、蜀を求めたのも、都江堰があったからこそだろう。
二王廟には李親子の金色の像が置かれ、参拝客が絶えない。

最近は2019年の台風被害のように、水による災害が多くなっている。現代の治水技術が2200年前より劣っているとは思わないが、当時の技術が優れていることを証明する施設であることは違いない。自然を生かし、生活に密着したこの土木事業は「地図に残る仕事」の手本のように感じる。

 

2000年登録

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