エルサレム旧市街(ヨルダンによる申請)

エルサレム市街~神殿の丘~岩のドーム~嘆きの壁~ヴィア・ドロローサ

3つの宗教が混在する地。そのために紛争の絶えない地。そんな印象がある聖地・エルサレム(Jerusalem)。2018年、行ってみた。
その直前、米国のトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの主張を受け入れて首都と認め、米国大使館を移すと発表した。何かが起きれば渡航できなくなるという心配はあった。

どの国にも属していない街

イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地が集まり、イスラム教のパレスチナとユダヤ教のイスラエルの、どちらへの帰属が決まっていないため、各国はイスラエルの首都をテルアビブとして大使館など公的機関を置いてきた。世界遺産の登録ではヨルダンが申請し、どの国にも属さないという形でいまも議論は続いている。
当然、パレスチナは反発するのはわかっている。筆者が帰国した3カ月後、2018年5月14日に大使館の移転を行った。トランプ大統領は参加を検討していたというセレモニーには出席していない。自分の身の安全が理由だとすれば、嘆かわしい。その覚悟があっての決定のはずだ。
トランプ大統領の発言でパレスチナのガザ地区ではデモが起き、非武装の市民がイスラエル軍に殺害されたという。自分は、自分の国は、遠くて安全なところにあるから、大統領選挙の公約を果たしたぐらいに思っているとしたら、とんでもない話だと思うのだが。そもそも公約にすること自体がおかしい。対立を生むのが好きな大統領だ。

3宗教の聖地「神殿の丘」

さて、エルサレム。早朝、テルアビブ空港に着いた。バスの中から朝日をみながらエルサレムに向かった。ホテルに荷物を置いて一休みした後、3宗教の聖地「神殿の丘」に行った。
入場したのは「糞門」。日本語にすると、どんなもんなのかと思うだろう。神殿の丘は城壁に囲まれていて、門は8つある。糞門はかつて、ゴミやし尿などを運び出すのに使用されたため、こんな名前になったという。英語表記は「DUNG GATE」だった。

セキュリティーチェックを受けて入る。そう厳しそうな感じはしなかったが、結構並んでいたので、城壁の下に広がる遺跡を見たり、ガイドに話を聞きながら時間をやり過ごした。


エルサレムや3宗教などにまつわる詳細は旧約聖書、新約聖書ほか他に譲るとして、ガイドブックやガイドの説明から概略を調べておこう。
この地方はもともとパレスチナ地方と呼ばれていたが、神がユダヤ人の祖となるアブラハムにこの地を与えたところから、今に続く問題につながる。

ユダヤ人の約束の地、イエスの磔刑、イスラムの占領…

エジプト王朝時代に奴隷だったユダヤ人が、紀元前13世紀にモーゼに率いられてエジプトを脱出し、神からの「約束の地」でパレスチナ人を平定して定住。紀元前1000年にダビデ王がユダヤ人を統一して王国を築き、丘にテントを建てて至聖所とし、ヘロデ王が神殿としたのが「神殿の丘」の始まりだという。ソロモン王の時に最盛期を迎え、第一神殿を築いた。
王国はバビロニアにいったん滅ぼされたが、紀元前538年に戻り第二神殿を再建。次にローマ帝国に占領されて、神殿の城壁は西壁を残してなくなった。
紀元前1世紀、イエスが生まれて自らの教えを広めたが、ローマ帝国によって処刑された。その教えを弟子たちが広め、キリスト教としてローマ帝国も認めるに至った。


その後、イスラム教を創始したムハンマドがエルサレムの神殿の丘で昇天したということで、7世紀にイスラム勢力がエルサレムを占領して「岩のドーム」と「アル・アクサ・モスク」(al-Masjid al-Aqṣā)を建てる。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が一堂に集まる場所が出来上がったことになる。この後の十字軍やイスラエル建国などは省略するが、宗教問題だけに複雑に事情が絡みあう場所でもある。
エルサレムは大きく東エルサレムと西エルサレムに分かれ、旧市街は東エルサレムにある。

丘の頂上にそびえる金色のドーム

入場の順番が来て、セキュリティーチェックを受けると、空中散歩のような渡り廊下を歩いていく。「夫婦でも男女は少し離れて歩いてください」(ガイド)と、宗教上のルールがあるらしい。
左下に見えるのは「嘆きの壁」(Wailing Wall)。ヘロデ王の城壁の中で唯一残った西壁で、ユダヤ教徒が壁に手を当てて祈っているのが見える。

渡り廊下は神殿の丘の上に続いている。出るとアル・アクサ・モスクの裏手に出る。正面に回り込んだ。岩のドームはウマイヤ朝のカリフ、アブドゥル・マリクによって691年に建てられ、モスクは息子のワリードによって709~715年に造られたという。下からは見えなかったが、モスクには銀色のドームがある。


モスクの前の広場には、身体を清める場所があり、それを挟んでモスクの反対側、丘の頂上に金色のドームを載せた「岩のドーム」(Qubba al-Ṣakhra)がそびえている。


イスラム教徒以外は入れないというので、外側を一周した。ドームは銅板に金箔を張ってあるという。
ここには「聖なる岩」があるとされる。ユダヤ人のアブラハムが神のお告げで息子のイサクをいけにえにするため、その岩の上で殺そうとして神に止められ、エルサレムの地を与えられた。神の名がエホバという。ムハンマドが昇天した岩でもある。


遠目には金色の鮮やかさが目立つが、実は壁面に施された彫刻やタイルのアラベスク模様が素晴らしい。タイルはガイドブックにはトルコ製とあったが、ガイドはアルメニア製と説明した。モスクではなく、会堂だという。

岩のドームから少し下ったところに、十字軍時代から残っている回廊がある。壁面などには彫刻が残り、窓枠には彩色もされていた。


回廊前の広場には、地面に低い柵が建っている。ガイドに聞くと「キブラといって、メッカの方向を示す柵です」という。ここでお祈りをする人たちもいるのだろう。


岩のドームを後にして、旧市街に入っていく。イスラム勢力が支配していた時代の建築物や彫刻も残っている。迷路とまではいかないが、イスラムの街のメディナを思わせる。
城壁内の旧市街は大きく4つに分かれているそうで、岩のドームがあるのがイスラム教徒地区、後述する嘆きの壁があるのはユダヤ教徒地区、聖墳墓教会があるのがキリスト教徒地区、ダビデの塔などがあるのがアルメニア人地区になっている。アルメニア人が多いのは、キリスト教を初めて国教として公認したのがアルメニアで、発言力があるからだという。

「嘆きの壁」に触れて願い事

ユダヤ教徒地区に入り、嘆きの壁の入り口に着く。入場したときは上から見たが、正面から見ると結構大きな壁だ。
ヘロデ王時代に造られた神殿の丘を囲うための城壁だが、70年のローマ・ユダヤ戦争でローマ帝国軍に破壊されて、唯一残ったのが西壁。ユダヤ教徒が神殿の破壊を嘆き、復活を祈ったことで「嘆きの壁」となった。いま見えるのは高さ20㍍、幅60㍍ほどで、建物などに隠れてもっと続いており、地中にも埋まっているそう。


「男性は左、女性は右です」とガイド。嘆きの壁に祈りをささげる場所は男性用と女性用に分けられている。男性用の方が倍ぐらい広い。

女性用の嘆きの壁

 

「これ着けてください」と、頭にのせるキッパという帽子を渡された。ただ頭にのせるだけだが落ちない。

キッパを頭にのせる

「エルサレムストーン」というこの地方でとれる石灰岩が積み上げられており「へロデ王の城壁は7段、その後積み上げられて19段あります」とガイド。今もエルサレムに家を建てるときは、この石を使う決まりになっているという。


壁の前では黒い服を着た、たくさんのラビと呼ばれる指導者、学者が椅子に座って、書物を声を出して読んでいた。「ラビはユダヤ教についての学問ばかりやっていて、生活保護を受けて働かない。税金も払わない」と、ガイドはなぜか少し怒っていた。

ユダヤ教徒ではないが、壁を前に立つと周囲の雰囲気もあって厳粛な気持ちになる。壁を見ると、石と石の間に紙が挟まっている。
「祈りの言葉が書かれています。異邦人は願いごとを書いてください。ある程度いっぱいになると、ラビが集めて燃やします。宗教に関係なく、願いを聞いてくれます」というので、メモ帳を破って書いて押し込み、壁に手を当てた。

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