万里の長城(中国)

北京~八達嶺長城~居庸関長城

子どものころ、「月から見える唯一の建造物」と聞かされてきた。2003年に中国の宇宙飛行士が「宇宙から見えなかった」と証言したが、宇宙ステーションから撮影した写真には写っていたという。
見える見えないは別として「人類の大仕事」は色あせない。2002年、行ってみた。

中国北方の民族の侵入を防ぐためにつくられたこの城壁、東は朝鮮半島近くの海につながる山海関から、西は内陸部の砂漠地帯にある嘉峪関まで連なる。
すべてが1本につながっている訳ではないが、全長6000キロ強。ピンと来ないが、ちなみに日本は南北に約3000キロ(東西も)なので、日本往復分の城壁をつくったことになる。
修復されていないところも多いといい、北京郊外にある世界遺産の長城の「一部」を見るのが観光では一般的。修復、整備されていてもっとも見やすいのが「八達嶺長城」で、近くには「居庸関長城」もある。

八達嶺の門をくぐると、すぐに城壁が目の前に現れる。城壁といっても、通行はしなければならないので、関所の役割をする小さな城のような塔がある。
そこが登城口になっていて、ちょうど谷の底のような感じ。階段を上って城壁の上に出ると、左右は「男坂」「女坂」という登り坂に分かれている。

ガイドによると「男坂は急な登りになりますが高いところまで登れます。女坂は少し緩やかで周りの景色がいい」という。「男は男坂、女は女坂」という決まりは特にはないということだったので、景色のいい方を登り始めた。
事故などもあって一時なくなっていたロープウエーが運行しているというので、かなり楽になっているだろう。乗らなかったので料金はわからないが。

馬も走れる壁の上

城壁の高さは7、8メートル、上部の歩けるところの幅も5、6メートルはある。「楼」という兵士の詰め所のようなところが、100メートル程度の間隔をおいて造られている。

とにかく30分をメドに行けるところまで登ってからゆっくり下りてこようと考え、まずはひたすら女坂を登った。「北〇楼」と楼には番号がついていた。
意外と急傾斜。階段があったり、石の表面がすべすべしていて手すりや壁面につかまらないと滑ってしまいそうな場所もある。

ガイドによると「馬で行き来できるように造られています」という。広さは十分だろうが、馬のひずめでは滑ってしまい、とても走り回るのは無理だろうと思った。

周りの景色を楽しもう

時折、後ろを振り返ると、男坂がきれいにみえる。上に行けば行くほど、山の尾根づたいに築かれている長城の様子も分かる。楼を数える余裕がなく、どこまで登ったかはよくわからなかったが、たぶん北七楼あたりまで行ったのではないかと思う。

そのあたりでは十分高いところだった。遠くの山々を見ると「あんなところまで」と思えるほど、城壁が山の尾根伝いに延々とつながっている。汗をふきながら眺めた。風が心地いい。

膨大な労力と犠牲で築いた

この城壁、秦の始皇帝が築いたと言われているが、当時は馬で越えられない程度の土塁のようなものだったそうだ。
現在のようにがっちりとした城壁になったのは、明の時代だという。前王朝のモンゴル民族が建てた元のような、異民族の時代に逆戻りしないように改築された。
延々と土を盛り、レンガや石を積み上げて築いた。八達嶺という一部を見るだけでも、万里の長城のすごさと、漢民族の異民族への恐怖心も感じ取れる。
しかし、次の王朝の清は北方民族でもあり、万里の長城を破って侵入した。そのころから長城も不要になっていった。

どこかの大統領が国境に壁を造って不法移民を阻止しようとしているが、派手なパフォーマンスだけで防げるとはあまり思えない。ベルリンの壁も壊されるときはあっけなかった。
現在の長城は、取り壊されたり、材料を転用されたりして、かなりなくなってしまっているという。

世界遺産に登録されているのは長城すべてではなく、この八達嶺周辺と、最も東にある山海関、最も西にある嘉峪関の一帯になっている。
帰りがけ、近くにある居庸関長城を車窓からながめた。男坂にも増して急傾斜に見えた。足場のよくない山の尾根が主の建設作業だったと思われるので、その労力や費用たるや膨大で、多くの犠牲があったことは想像に難くない。

1987年登録

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