紀伊山地の霊場と参詣道(日本) 熊野三山と熊野古道


速玉大社の宝物館には国宝が満載と聞いていたので行ってみたら、まだ開いていなかった。開館時間は過ぎていたので、社務所に行って開けてもらった。
撮影できなかったが、神宝の扇や箱、神社の飾りや組紐、かんざしなどなど、さまざまな国宝がそう厳重には見えないガラスケースにずらりと収まっている。「これも?」というのもあるので、のぞいてみたい。

88羽のカラスで災難除け

熊野速玉大社に近い権現前バス停から路線バスで「熊野本宮大社」に向かう。山に入るにつれて雨は上がってきて、熊野川のエメラルド色の水がきれいだ。


バス停から本宮大社に向かう。石の鳥居をくぐると、目の前にまた階段が立ちふさがる。


きれいな石段なのであまり足には来ないが、上って本宮の中に入って疲れがどっと出た。白いシートで本殿がみえないのだ。


実は正遷座120年を迎え、行った2013年は建物の修復工事の真っ最中。階段の下に書いてあったかもしれないが見落としたのか。23年ぶりに来たのに、葺き替えが終わった桧皮屋根が少し見えるだけ・・・けっこう残念。私と同じように思った人のためにか、大きな写真があった。

熊野本宮にあった看板

古ぼけているが、1990年に撮った写真もあるので、修復前の姿を。

1990年当時の熊野本宮

縁起などによると、邇邇藝命(ににぎのみこと)の兄・天火明命(あめのほあかりのみこと)が熊野を治めた熊野国造の祖神。第10代崇神天皇の世に天火明命の孫の熊野連の前に、素戔嗚(すさのお)尊ほかの神が熊野川の中州大斎原に降臨。その地に熊野本宮大社が創始された。
紀元前33年というから、2000年以上前の話だ。主祭神は家都美御子大神(けつみみこおおかみ)で「すさのおのみこと」になっている。
1889年(明22)の大洪水で消失し、現在の場所に上四社(第1殿~4殿)が再建され、中四社、下四社は移されていない。熊野造という独特の建築方式だという。


第一殿は熊野牟須美(むすみ=いざなみ)大神、第二殿は速玉之男(はやたまのお=いざなぎ)大神、第三殿は家都美御子大神、第四殿は天照(あまてらす)大神となっている。
参拝は第三殿から始める順番があるので、参考までに。


きれいになった屋根だけ見て長居せず、参拝所だけはあったので、順番に従ってお参りしてきた。

熊野本宮第三殿素戔嗚

縁結びなどにご利益があるという満山社が一番右端にあり、八百万の神がまつられ、神話の名前がまたもたくさん登場する。

熊野本宮満山社

烏(からす)を絵文字にした神札「熊野牛王宝印(神符)」をいただいてきた。祀る場所によって災難を免れるといい、帰宅してコンロの上に張って火難除けをお願いした。盗難除け、病気平癒、船酔い除けなどにも使われるという。
ちなみに、熊野三山それぞれ、牛王宝印のデザインは異なっていて、本宮は88羽の「オカラスさん」で書いてある。顔と目を手がかりにすると88羽いるので数えてみては。

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