古都京都の文化財(日本) 二条城(洛中)

京都駅~地下鉄烏丸線~地下鉄東西線二条城前~二条城

京都市・洛中にある登録世界遺産2つ、西本願寺ともう1つが、歴史ドラマ、特に幕末ものにはよく出てくる「二条城」。高校時代の修学旅行でも行ったのだが、あまり記憶に残っていないので、あらためて2020年、行ってみた。

古都京都の文化財はいつもどこかで修復が行われている。二条城も「本丸」が修復工事中。国宝「二の丸御殿」は見られるというので行った。地下鉄の二条城前で降りて地上に上がると、すぐ前が二条城になる。

コロナ禍が比較的落ち着いていた10月、仕事で大阪に行ったので帰りに立ち寄った。平日で弱い雨が降っており、チケット売り場は閑散としていた。荷物をコインロッカーに収めて、入城と二の丸御殿の観覧で1,030円のチケットを買った。

歴史が変わる舞台を見てきた城

外堀を渡って、二条城正門に当たる「東大手門」から入る。まずは右手に「番所」という建物。正面の壁に城内案内図があったので、順路を確認した。

番所(左)と入口の東大手門

左に進むと、立派な「唐門」がある。曲線を描く唐破風という屋根や色遣い、装飾など西本願寺の唐門や、日光の陽明門などと似ている。

2013年に修復工事を終えたということで、金の金具類に、彩色された唐獅子や松竹梅に鶴など縁起物の動植物の彫刻が豪華に、びっしりと飾られている。日の光があればもっと極彩色に見えるのだろう。

パンフレットや説明板から二条城の歴史を少し。戦国時代に終止符を打って江戸幕府を開いた徳川家康が、幕府を開いた1603年に、京都御所の守護と将軍の宿泊所として築城。江戸幕府3代将軍家光の時に、後水尾天皇行幸のために大規模改修を行い、二の丸御殿を狩野探幽率いる狩野派の障壁画などで飾った。

幕末、大政奉還の場になったことでも有名だ。二の丸御殿大広間で15代将軍慶喜が40人の大名を前に大政奉還を表明。幕末の動乱を経て、明治という新時代を迎えた。この城は、江戸幕府の最初から最後までを見届けてきた。

豪華けんらんの障壁画に飾られた御殿

唐門をくぐると、目の前に「二の丸御殿」がある。仰ぎ見るような大きさの建物は「車寄」と「遠侍」。いわゆる玄関にあたる。

車寄から中に入る。遠侍は、来訪者が控える場所。「一の間」「二の間」「三の間」には虎の襖絵。来訪者を威嚇したのだろうか。毛皮や本を参考に想像して描いているので、ちょっと違う印象もある。

全部で納戸も含めて8つの部屋に分かれている。二の丸御殿最大の建物になる。

中は撮影禁止なので、様子はお見せできないのが残念だが、実際に見に行かれた方がいい。部屋は、まあ、普通の畳の部屋なので、ふんだんに描かれた襖絵、障壁画が二条城の特色になっている。御殿全体で約3600枚あるというから、どこへ行っても豪華な絵に出合う。

二の丸御殿、平面図で見ると、南から北西方向へ斜めに、階段状に建物が廊下でつながって連なっている。遠侍の次は「式台」。将軍への要件や献上品を取り次ぐところになる。繫栄と長寿を願う松の絵や鷺など動物の絵が描かれている。

続いて「大広間」。徳川慶喜が大政奉還を宣言した部屋で、奥の一段高くなったところに南面して座る将軍の背後にはりっぱな松の絵。よく映画やドラマのシーンにも出てくる。襖絵の上、欄間にも目を向けよう。見事な透かし彫りが使われている。

外側から見た遠侍、式台、大広間(奥から)

ゆっくりと歩く。「蘇鉄の間」の廊下を通って「黒書院」へ。「一の間」「二の間」は桜の絵で飾られ、桜の間とも呼ばれる。書院だけに、動きがある動物ではなく、植物が主体なのだろうか。将軍が徳川家に近い大名や高位の公家と対面した。

外側から見た黒書院

最後が「白書院」。将軍の居間と寝室があったと考えられているそうだ。ここは山水画や人物画などの水墨画が描かれている。他の部屋は金ピカの「狩野派」という絵がふんだんに使われているが、さすがに寝る時は落ち着かないだろう。

外側から見た白書院

順路はここで折り返して、今度は各建物(部屋)の後ろ側を見ながら遠侍に戻る。黒書院ではボタンの絵一色の「牡丹の間」、式台では「老中の間」、遠侍では「勅使の間」「柳の間」という感じで裏側の部屋を見られる。

建物をつなぐ廊下は「鶯(うぐいす)張り」になっているので、歩くとキュッキュッという鳥の鳴き声のような音が鳴る。聞き心地もいいが、防犯にもいい。

どこから見ても正面になるという庭園

外に出ると雨はほぼ上がり、傘はいらなくなった。二の丸御殿を出て右へ、建物に沿って歩いていくと、特別名勝に指定されている「二の丸庭園」が広がってくる。先に行くと池がでてくる。

 

1626年の後水尾天皇の行幸に合わせて作事奉行・小堀遠州の下で現在のような庭園になったという。池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園というが、どれがどの島かはよく分からなかった。散策にはよさそうだ。

コロナ禍ではあるが、中学・高校の修学旅行だろうか、団体が何組かあって二の丸御殿では中学生、ここでは高校生の団体が来たのでやり過ごしながらゆっくり歩いた。ガイドさんの説明は参考になるので、聞き耳は立てていた。この庭園「どこから見ても正面に見える」ようにつくられているんだという。

高校生たちがガイドさんの説明で廊下の下に潜り込んで何かを見ていたので、行った後にのぞいた。鴬張りの廊下の仕組みが分かる。「目かすがい」で固定した床板に隙間があるため、人が上に乗ると「目かすがい」が上下に動いてこすれ、音が鳴るようになっている。

廊下の床板の下にある「目かすがい」

絵画は模写して修復中

二の丸庭園を抜けると「本丸御殿」にでる。「東橋」で内堀を渡って中に入る。疑うわけではなかったが、やはり建物全体が修復工事で覆われていて、御殿は見えない。修復の様子が写真パネルなどで展示されていた。

「本丸庭園」は工事をしていないので見られた。明治天皇の行幸に合わせて、枯山水の庭園から改造したという。

「西橋」で内堀を渡って二条城の最奥に来て、ここから時計回りに元に戻る。門や「清流園」などの庭園を右手に、本丸の石垣と内堀を左手に見ながら、ぶらぶらと歩いた。

出入口の東大手門の手前に「二条城障壁画 展示収蔵館」がある。入場料100円で入った。二条城の障壁画のオリジナルが一部展示されている。

収蔵館のパンフレット

二の丸御殿にある約3600点ある絵画のうち、1016面が重要文化財に指定されている。オリジナルの絵を正確に模写し、御殿の原画と模写画を入れ替える作業が進んでいるという。また、外した原画を伝統技術で修復し、収蔵するのがこの館の役割だそうだ。

二の丸御殿で見た見事な襖絵、障壁画だが、いったいどれぐらいがオリジナルで、どれぐらいが模写だったのだろう。

1994年登録

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