紀伊山地の霊場と参詣道(日本) 熊野三山と熊野古道
縁起などによると、邇邇藝命(ににぎのみこと)の兄・天火明命(あめのほあかりのみこと)が熊野を治めた熊野国造の祖神。第10代崇神天皇の世に天火明命の孫の熊野連の前に、素戔嗚(すさのお)尊ほかの神が熊野川の中州大斎原に降臨。その地に熊野本宮大社が創始された。
紀元前33年というから、2000年以上前の話だ。主祭神は家都美御子大神(けつみみこおおかみ)で「すさのおのみこと」になっている。
1889年(明22)の大洪水で消失し、現在の場所に上四社(第1殿~4殿)が再建され、中四社、下四社は移されていない。熊野造という独特の建築方式だという。
第一殿は熊野牟須美(むすみ=いざなみ)大神、第二殿は速玉之男(はやたまのお=いざなぎ)大神、第三殿は家都美御子大神、第四殿は天照(あまてらす)大神となっている。
参拝は第三殿から始める順番があるので、参考までに。
きれいになった屋根だけ見て長居せず、参拝所だけはあったので、順番に従ってお参りしてきた。
縁結びなどにご利益があるという満山社が一番右端にあり、八百万の神がまつられ、神話の名前がまたもたくさん登場する。
烏(からす)を絵文字にした神札「熊野牛王宝印(神符)」をいただいてきた。祀る場所によって災難を免れるといい、帰宅してコンロの上に張って火難除けをお願いした。盗難除け、病気平癒、船酔い除けなどにも使われるという。
ちなみに、熊野三山それぞれ、牛王宝印のデザインは異なっていて、本宮は88羽の「オカラスさん」で書いてある。顔と目を手がかりにすると88羽いるので数えてみては。
天皇も滞在した「五体王子」
さて、熊野古道へ。路線バスに乗り、滝尻で下車。富田川の橋を渡ると右手に「熊野古道館」、左手に「滝尻王子」がある。古道館で熊野古道を少し勉強してから、滝尻王子へ。
熊野古道に点在する「九十九王子」の中でも格式が違う「五体王子」の1つで、1200年には後鳥羽上皇が歌会を開いたという。ここから本宮に向かって熊野の霊域が始まる地でもあった。
脇の山道を登ると、平将門を追討した藤原秀郷にまつわる「乳岩」「胎内くぐり」などの岩がある。けっこう山道で、富田川を含めてこのあたりは熊野古道でも難所の1つだった。
また路線バスに乗って、今度は「稲葉根王子」へ。路線バスは頻繁にはないので、見て回る時間を考慮して調べておいた方がいい。
こちらも五体王子に1つ。1201年に後鳥羽上皇に随行した藤原定家の日記に記されているという。五体王子は他に藤代、切目、発心門各王子で5社とされている。
両王子とも社はあるが、往事の隆盛は感じられず、日本中どこにでもあるような「小さな神社」の風情だった。
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