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北海道・北東北の縄文遺跡群(日本) 三内丸山遺跡・是川遺跡・二ッ森貝塚(青森県)

新青森駅~三内丸山、八戸駅~是川縄文館、二ッ森貝塚

2021年「北海道・北東北の縄文遺跡群」として、日本で25番目の世界遺産登録になった。発掘された遺跡が世界遺産になるのは日本で初めて。1道3県(北海道、青森、秋田、岩手各県)にまたがる。2017年まで5回、推薦が見送られていたが、報道などによると「約1万5000年前にさかのぼる、農耕以前の定住生活のあり方や複雑な精神文化を示す」と認められ、やっとたどり着いた。

17遺跡が登録されたが、中でも青森県では8カ所が登録された。新聞社時代に東北支社に勤務したことがあり、土地勘も少しはあるので、推薦が見送られていた時期にけっこう見て回っていた。

せっかく登録されたので、遺跡群の中でも中心的な存在でもある三内丸山遺跡に2021年、登録直後に行ってみた。

巨大建造物を備えた5000年前の大集落

三内丸山には2回目で20年ぶりぐらいだろうか、入口の様子などが変わっていた。世界遺産登録が間近になって整備されたのだろうか。入口の建物(時遊館)はこんなに大きくなかった。お祝いの横断幕も掲げられているが、コロナ禍の平日だからか、人は少なかった。入場料410円、チケットは自動販売機で買った。

三内丸山は縄文時代前期~中期(約5900年~4200年前)の大規模集落跡とされる。引っ越す場所はいくらでもあった時代だろうが、1700年も定住していた。住みやすい場所だったのだろうか。

遺跡入口から外に出ても、何も見えない。前に来たときは、入口の建物を出ると、すぐに大型の建物があった記憶があるのだが…。パンフレットには遺跡の順路が書いてある。左手にしばらく進むと、高い見張り台が見えてきた。以前、入ってすぐに見えていたのはこの建物だ。

分かれ道に出る。パンフレットの順路では右に行ってムラの遺跡を反時計回りに見ていき、見張り台が最後の方なのだが、まずそこへ行こうと思い、左の道を選択、逆回り(時計回り)に見ることにした。

勝手に見張り台と呼んでいるが「大型掘立柱建物」という。なんか、学術的な呼び名だ。遺跡の象徴的な建物なので、ニックネームをつけた方がいいかもしれない。あらためて見ると、確かに大きい。これは復原されたもので、柱の跡は隣の白い建物内にある。

入ると、1992年からの発掘調査で日本を驚かせた巨大な柱穴が6つ並んでいる。直径、深さとも2メートル、穴の間隔は4.2メートルで、直径1メートルのクリの木の柱が立っていたとされる。

そんなでかいクリの木がある縄文時代の自然の豊かさが分かる。建物の高さは分かっていないが、相当高いものを建てられそうだ。

「大型竪穴住居跡」は建物が復原されている。長さ32メートルあるそうだ。いわゆる「竪穴式住居」で地面に穴を掘って柱を立てて、屋根をかぶせるようにつくるので、軒先は地面すれすれになる。

中に入る。薄暗い。ここで何をしていたか分からないが、集会所や共同作業所、冬季の共同住宅などの説があるという。

その近くに3棟並んでいるのが「掘立柱建物群」。高床式に復原されている。一般の住居なのだろうか、「竪穴建物」も復原されている。入口が低く狭いが、中には入ることもできる。

どんどん歩いていく。集落内には墓などもあり、土器に入れられた子供の墓、土坑墓という大人の墓など、500基以上が見つかっている。

子供の墓

大人の墓

ゴミ捨て場のようなところもあり、当時の人には不要なものも、今の研究者にとっては宝の山らしい。多くの発掘物が見つかっている。「北の盛土」「南の盛土」は土器、石器の捨て場所、「北の谷」は動物や魚の骨などの食べ物、木製品などが捨てられていた。

北の盛土

南の盛土

遺跡を一回りするのに、1時間ほど。無料のボランティアガイドのツアーがあるので時間が合えば利用するのもいいだろう。

最後に時遊館内のさんまるミュージアムをみた。発掘された土器、石器を始め、5000年前の生活の様子が分かる。重要文化財の「大型板状土偶」の口を開けて叫んでいるような表情が印象的だ。

 

漆製品に縄文人の豊らを知る

青森県内ではほかに、2つの遺跡に登録前に行ったことがある。八戸市内の「是川遺跡」には2015年、行ってみた。

市内の新井田(にいだ)川沿いの台地で見つかった縄文集落跡で、縄文前期~中期の一王寺遺跡、中期の堀田遺跡、晩期を中心とする中居遺跡の3つの遺跡の総称。「長谷谷地貝塚」が関連資産になっている。

出土品は遺跡に隣接する「是川縄文館」に収められている。一王寺遺跡からは特有のバケツ状の土器が大量に出土し「円筒土器」と名付けられている。堀田遺跡から土器などのほかに住居跡も発掘されているそうだ。土偶も数多く見つかっている。

3000年前ぐらいと新しい時代の中居遺跡からは木製品が多く出土し、しかも漆が塗られていた。赤い漆塗りの櫛などの展示品を見ると、当時漆の価値がどれぐらいだったかはわからないが、現代でも高価な漆の櫛を使っている縄文人、暮らしぶりも豊かだったようだ。

暗くなった一室に入った。是川遺跡には入っていないが、新井田川対岸の風張遺跡で見つかった縄文時代後期後半(約3500年前)の土偶が鎮座している。国宝「合掌土偶」で、座った形で手を合わせている。何かを祈っているようだ。座って子供を産む座産のポーズで子孫繁栄を願ったという説などもあるそうだ。

シジミを味わい、犬を家族とした縄文人

もう1つはシジミで有名な小川原湖に近い七戸町にある「二ッ森貝塚」。2016年、行ってみた。

公共交通機関の便が良くない。八戸でレンタカーを借りていたので、仕事の途中に立ち寄った。縄文前期~中期(約5500~4000年前)と三内丸山と同時期の遺跡。世界遺産登録前だったので、まだ標識も少なく、カーナビを頼りに「二ッ森貝塚史跡公園」に行く。

ここには縄文時代の集落があり、いわゆるゴミ捨て場の貝塚が発見・発掘されている。建物の跡や墓なども見つかっている。犬を埋葬していたというので、その頃には既に犬は家族だったのだろう。史跡公園には当時の竪穴式住居を復原した建物が立っていた。

いくつかある貝塚から出てくるのは主にヤマトシジミだそうで、小川原湖から取ってきたものだろう。出土品は七戸町中央公民館の一角に展示されていたので行ってみた。あまり展示品は多くなかったが、出土した土器などが飾ってあった。

世界遺産登録直前、2021年4月に「二ッ森貝塚館」がオープンしているので、今はそちらで貝塚の様子を詳しく知ることができる。

2021年登録

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