カルタゴ遺跡(チュニジア)

チュニス市内~ビュルサの丘~アントニウスの浴場~バルドー美術館

「ハンニバル(Hannibal)」に「カルタゴ(Carthage)」。どこかで聞いた事があるのでは。古代ローマ帝国に挑んで1度は勝利した将軍と古代都市国家。カルタゴ発祥の地の遺跡がチュニジアにある。チュニス在住の友人のカウターさんを訪ねた2010年11月、行ってみた。
ハンニバルは、カルタゴの将軍。紀元前3世紀に、時の超大国ローマ帝国に対し、当時滞在していたスペインから象などを引き連れた戦史上有名な「アルプス超え」などで戦い(第2次ポエニ戦争)一度は勝利を収めて名将といわれた。映画「ハンニバル」とは全く違うのでお間違えなく。

牛の皮1枚分の土地から始った

カウターさんの車で向かったのは、ビュルサの丘。頂上に1890年に建てられたサン・ルイ教会と、隣にカルタゴ博物館があるのが目印になる。
入場券を買いに行くと「カルタゴ遺跡全部を見るチケットがある」とカウターさん。点在する遺跡を周遊すれば安上がりだという。1人4ディナール(約240円)でカメラは1台1ディナールなので買ってもらった。
ちなみに教師のカウターさんは、こうした遺跡や博物館などは無料。子どもたちに歴史を学ばせることを大切にしている。日本も見習いたいところだ。
博物館あたりからの景色がきれいだ。売店でカルタゴミニガイドブックを手に入れた。


博物館の展示物は多くはないが、周辺遺跡の出土品が並んでいる。


ガイドブックによると、紀元前814年にフェニキア(ラテン語ポエニ)の王女エリッサらがここに上陸し、現地人に「ビュルサ(牛の皮)1枚分で覆える土地が欲しい」と交渉。受け入れられると、牛皮を細く切ってつないでひもにして、この丘一帯に大きな土地を獲得したという。

古代ローマ帝国が徹底的に破壊

以後交易を中心に地中海に沿岸に大きな国家をつくった。そのカルタゴ発祥の地は、第3次ポエニ戦争(紀元前146終戦)で勝利したローマ帝国に徹底的に破壊された。


残っているのはほとんどがローマ時代の遺跡なので「カルタゴ遺跡」といっていいのかどうか。
ローマはカルタゴの人たちをほとんど殺すか奴隷にし、地面には塩をまいて二度と農業ができないようにしたというから、1次、2次ポエニ戦争で敗れた恨みが相当だったのだろうが、一般市民を巻き込むのは強国にしては大人げない。
博物館の前は「カルタゴ」の遺跡が残っている。そこまでやってなお、ローマ人がこの地をカルタゴの名のままで再興したのは、やはり地理的にも重要だったのだろう。

ローマ人が再興し繁栄を取り戻す

丘を北へ少し下ったところに「円形闘技場跡」がある。世界各地のローマ遺跡ではおなじみだ。4万人ぐらいを収容したというが、その面影は残っていなかった。

カルタゴ円形競技場

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