古代都市テーベと墓地遺跡(エジプト) ナイル川西岸

ルクソール市街~メムノンの巨像~葬祭殿~王家の谷

聖徳太子が「日出ずるところの天子、書を日没するところの天子にいたす」という手紙を隋の煬帝に送り、怒らせたという話がある。太陽が昇る東と沈む西の対比は、世界中にあったのだろう。
ルクソールのナイル川東岸には神殿を中心とした生者の街だったのに対して、「ナイル川西岸」は「王家の谷(Valley of The Kings)」はじめ墓所遺跡を中心した「死者の街」と呼ばれている。東岸を見た後、ルクソールに泊まり、翌日西岸に向かった。

「死者の街」の門番、葬祭殿の数々

「メムノンの巨像(The Colossi of Memnon)」が、死者の街の門番のように建っている。顔の大部分は壊れ、全体にもひびが入った2体の座像。高さ20㍍ぐらいか。トロイ戦争に参加して、アキレスに殺されたエチオピアのメムノン王の名をとったそうだ。
元々は新王国時代(紀元前1565~1070年ごろ)のアメンホテプ3世の葬祭殿の前に立っていた同王の像だという。葬祭殿はその後の石切り場になってなくなり、像の名前もはく奪されたアメンホテプ3世という王に何か問題があったのだろうか。

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