カルタゴ遺跡(チュニジア)

古代ローマ帝国が徹底的に破壊

以後交易を中心に地中海に沿岸に大きな国家をつくった。そのカルタゴ発祥の地は、第3次ポエニ戦争(紀元前146終戦)で勝利したローマ帝国に徹底的に破壊された。


残っているのはほとんどがローマ時代の遺跡なので「カルタゴ遺跡」といっていいのかどうか。
ローマはカルタゴの人たちをほとんど殺すか奴隷にし、地面には塩をまいて二度と農業ができないようにしたというから、1次、2次ポエニ戦争で敗れた恨みが相当だったのだろうが、一般市民を巻き込むのは強国にしては大人げない。
博物館の前は「カルタゴ」の遺跡が残っている。そこまでやってなお、ローマ人がこの地をカルタゴの名のままで再興したのは、やはり地理的にも重要だったのだろう。

ローマ人が再興し繁栄を取り戻す

丘を北へ少し下ったところに「円形闘技場跡」がある。世界各地のローマ遺跡ではおなじみだ。4万人ぐらいを収容したというが、その面影は残っていなかった。

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