カルタゴ遺跡(チュニジア)

近くには「ラ・マルガの貯水池」がある。レンガで造られたトンネル状のタンクが14あったそうだ。

ラ・マルガの貯水池

まだ遺跡としてはあまり整備されていないようで、管理人らしき人が中まで入れてくれたが、深い縦穴などもむき出しで、足元に注意しないと落ちそうなる。


都市国家カルタゴの遺跡と、その後のカルタゴのローマ遺跡は、チュニス市内から観光地シディ・ブサイドに向かうの電車の途中「カルタージュ・ビュルサ駅」と隣の「カルタージュ・ハンニバル駅」周辺にまとまってある。カルタージュはカルタゴのフランス語。
我々は車だったが、歩いても大半は回れそうだ。ビュルサの丘の上から南に下ると駅方面に出る。登ったり下ったりなのでちょっときついかもしれない。
闘技場から車で10分ほどのところにあるのが「ローマ劇場」。1500年ぐらいたって、今も現役。
毎年7、8月にカルタゴ国際フェスティバルが開催されるそうで、まだポスターや舞台、照明設備などもあった。音響効果のほどは分からなかったが、修復を重ねて再利用されているのは、劇場として機能しているのだろう。

ローマ劇場

劇場の先が「ローマ人住居跡」。ほとんどはレンガを積み上げた区画しか残っていないが、栄華の片りんを見られるのが修復された「ヴォリエーラ(ヴォリエール、鳥舎)の別荘」。通称「鳥の家」だ。

ローマ人住居鳥の家

中庭の地面にあるモザイクには、動物や鳥、魚などが描かれている。それぞれが四角に区切られて碁盤の目のようになっており、ゲームに使っていたという説もあるという。そう思うと、双六のようではある。


ローマ人の住居跡から海に下りていくと「アントニウスの浴場」にでる。2世紀に建てられたという。高さ15㍍の円柱が目を引く。柱からいえば、相当大きな建物だったのだろうか。


浴場には更衣室から2つの温泉に入れるようになっていて、冷浴室、温水プール、高温浴室、サウナ、体育場などの施設があったという。健康ランドといったところか。


往時の面影はほとんどないが、石積みの遺跡はかなり大きな建築物だったことをうかがわせる。


遺跡を区切るように、ベンアリ大統領(当時)の大統領官邸の白壁が細長く続いて、外部と遮断している。「あまりカメラを向けない方がいいわよ」とカウターさんが小声で言った。付近は銃を持った軍の兵士が巡回しているという。
その大統領は、行った2カ月後に「ジャスミン革命」で追放(亡命)されている。

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