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ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、ヴァチカン) 大聖堂


後陣の両側の壁には、大きなパイプオルガンがしつらえられている。テラスのようになっているところで弾くのだろうか。壁面の彫刻や装飾には目を奪われる。

ローマの教会では最古で最上位

この教会は314年にキリスト教を認めたコンスタンティヌス帝が建てた。1309年に法王がフランス王によってアヴィニョンに拉致される「アヴィニョンの捕囚」まで歴代法王はここに住んでいた。法王はローマに帰ってきてからはヴァチカンに住んでいるが、今でもローマの教会の中では最上位に当たるという。
法王がいなかった時代に荒れたが15世紀以降、改築や補修が行われて様々な建築様式の建物になった。1650年の聖年に向けてボッロミーニによって大改修を行われ、今の姿になる。
名前の由来はラテラーノ家の土地だったこと。悪名高い皇帝ネロに謀反の罪をかけられて土地を没収され、コンスタンティヌス帝が邸宅として使っていた土地に自ら教会を建てて寄進した。ローマ最古の教会ともいわれる。


大広間の横には側廊があり、たくさんの礼拝堂がある。その中でもきれいだったのが、イエスの最後の晩餐の様子を金の彫刻であしらっていた礼拝堂。金と青の格天井も見事なものだ。


いくつかの礼拝堂の見ながら出入り口に戻る。キオストロ(回廊)に囲まれた中庭があるのだが、入口を通り過ぎたのか、別に入口があるのか、もう閉まっていたのか、見過ごしてしまった。
外に出て教会前に広場に面して変わった建物があった。聖堂らしい。ファサードの上部にあるモザイク画が目を引く。入れなかったが(もともとキリスト教徒以外は入れないらしい)、中には「スカラ・サンタ」という聖なる階段がある。
エルサレムのピラト邸で死刑判決を受けたイエスが、十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いたことは、エルサレムの項で紹介した。その時にピラト邸で降りた階段をコンスタンティヌス帝の母ヘレナが見つけてここに移したという。

地下鉄サン・ジョヴァンニ駅から10分かからないほどなので交通の便もいい。駅に歩いていると、かつてのローマの城壁をくぐった。

4大バシリカを目にする

「4大バシリカ」のうち、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂は別掲するが、もう1つが「サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」(Basilica di San Paolo fuori le mura)。前回の1991年にローマに来た時に、バスツアーで行った。ローマ旧市街からは少し離れている。
コンスタンティヌス帝が4世紀に聖パウロの墓をまつるために造った。19世紀初めに火災によってほとんどが焼失し、その後に立て直されたもの。ファサードにある金色の壁画が印象的だったが、1枚しか残っていなかった写真が不鮮明で申し訳ない。

大聖堂内部には、火災を免れた内陣のモザイク画などが残っている。次にローマに行く機会があれば、もう1度訪れてみたい場所だ。

「真実の口」「モーゼ像」…個性的な教会

大聖堂ではないが、ローマには個性的な教会が多い。世界遺産登録がされているかは解釈によって微妙だが、1991年に行った2つの教会を紹介したい。
1つは「サンタ・マリア・イン・コスメディン教会」(Santa Maria in Cosmedin)。有名な「真実の口」(Bocca della Verità)がある。パラティーノの丘を挟んでフォロ・ロマーノの反対側にあるのだが、当時地図とにらめっこしながら歩いて探したがなかなか見つからなかった記憶がある。教会に入ってもどこにあるか探し、廊下のようなところの壁にあった。
浮き彫りの海神トリトンの口に嘘つきが手を突っ込むと抜けなくなるというので入れてみたが、何も起こらなかった。真実の口は、古代のマンホールだったという。4世紀に造られた古い教会でもある。

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