ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、ヴァチカン) 大聖堂
ここも反対側に回り込むと、かなり大きな広場を前にした巨大なファサードの下に出る。聖堂というよりはこちらの方が宮殿ではないかと思える。
屋上に注目。中央にイエスの像で15人の聖人の像を従えている。ファサードは18世紀にアレッサンドロ・ガリレイが製作したという。
この教会も無料だが、手荷物検査を受けて入る。ファサードの下から見上げるとその高さを実感する。
入口にはいくつか扉がある。青銅製の締まっている扉があったので、これが聖年にしか開かない扉かと思ったが「クーリアの扉」というものだった。脇にはたぶんローマ皇帝コンスタンティヌスの像があった。
法王のためだけの祭壇が中央に
入ると大広間。その広さ、高さに驚かされる。両サイドには聖人たちの彫像が置かれている。天井は細かな彫刻が施された格天井で金色に光っている。
正面には豪華な祭壇がある。この祭壇はローマ法王(教皇)専用のものだという。1367年にジョヴァンニ・ディ・ステーファノによって造られた。祭壇内部には、聖遺物として聖ペテロと聖パオロの頭蓋骨の一部が収められているそうだ。
祭壇の奥、後陣にはドーム状になった天井にはモザイク画が残り、上部の神と天使の画は4世紀、下部の十字架と聖母マリアと聖人たちのものは13世紀の作品だという。
後陣の両側の壁には、大きなパイプオルガンがしつらえられている。テラスのようになっているところで弾くのだろうか。壁面の彫刻や装飾には目を奪われる。
ローマの教会では最古で最上位
この教会は314年にキリスト教を認めたコンスタンティヌス帝が建てた。1309年に法王がフランス王によってアヴィニョンに拉致される「アヴィニョンの捕囚」まで歴代法王はここに住んでいた。法王はローマに帰ってきてからはヴァチカンに住んでいるが、今でもローマの教会の中では最上位に当たるという。
法王がいなかった時代に荒れたが15世紀以降、改築や補修が行われて様々な建築様式の建物になった。1650年の聖年に向けてボッロミーニによって大改修を行われ、今の姿になる。
名前の由来はラテラーノ家の土地だったこと。悪名高い皇帝ネロに謀反の罪をかけられて土地を没収され、コンスタンティヌス帝が邸宅として使っていた土地に自ら教会を建てて寄進した。ローマ最古の教会ともいわれる。
大広間の横には側廊があり、たくさんの礼拝堂がある。その中でもきれいだったのが、イエスの最後の晩餐の様子を金の彫刻であしらっていた礼拝堂。金と青の格天井も見事なものだ。
いくつかの礼拝堂の見ながら出入り口に戻る。キオストロ(回廊)に囲まれた中庭があるのだが、入口を通り過ぎたのか、別に入口があるのか、もう閉まっていたのか、見過ごしてしまった。
外に出て教会前に広場に面して変わった建物があった。聖堂らしい。ファサードの上部にあるモザイク画が目を引く。入れなかったが(もともとキリスト教徒以外は入れないらしい)、中には「スカラ・サンタ」という聖なる階段がある。
エルサレムのピラト邸で死刑判決を受けたイエスが、十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いたことは、エルサレムの項で紹介した。その時にピラト邸で降りた階段をコンスタンティヌス帝の母ヘレナが見つけてここに移したという。
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