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ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、バチカン) 広場&噴水

サンタンジェロ城~ナヴォーナ広場~パンテオン~コロンナ広場マルクス・アウレリウス記念柱~トレヴィの泉~スペイン広場~アウグストゥス廟~ポポロ広場

四半世紀ぶりのローマに2017年、行ってみた。前回、英語バスツアーで行った1991年は市内の有名な見どころを回ったが、今回は当時と重なるところもあるが、世界遺産登録物件を中心に歩いてみた。
イタリア政府観光局が「世界遺産登録」と解釈している広場が、HPによると「トレビの泉」を含めて少なくとも4つある。解釈しにくいユネスコのHPにも名前や特徴がでてくるので「正式な」世界遺産とみてもいいだろう。
サンタンジェロ城とヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の中間ぐらいにあるB&Bのホテルで、地図と現地で買った日本語のガイドブックを見ながら、それらを組み合わせて歩く「ゴールデンルート」を考えた。
「アラ還」のおじさんでも一日で歩けたが、結果から言うと万歩計で2万歩をゆうに超え、食事時間も含めてホテルを出て帰り着くまで、ちょっと寄り道もしながら8時間以上、けっこう疲れた。身軽にして歩きやすい靴で行きたい。

サンタンジェロ城を起点に歩く

ホテルから5分ほどの「サンタンジェロ城」から始めた。午前8時30分ごろ、サンタンジェロ橋のたもとに着いた。


城の内部は開場前で、実は前日のうちに見ていた。映画「天使と悪魔」の舞台にもなった。城のてっぺんの大天使ミカエル像が印象に残っている。そうそう、今回歩くルートにはその映画の舞台になった場所も多くある。興味のある人はそちらの方を詳しく見ればいいのでは。
歩き出す前に前日見た内部のことを。入ると、円形の城本体を方形の外壁が囲っているのがわかる。本体と外壁の間に作られた道を回りながら、本体の入口を探した。


この城は、元々は139年にローマ皇帝ハドリアヌス廟として造られた。その後、14世紀以降はテヴェレ川に面しているなどの地理的条件がよかったのか、砦、城として使用されていく。監獄に使われたこともあったという。
方形の外壁の四隅は「出城」のようになっていて、全方向に対応できるような造り。軍事的に重要な場所だったことがうかがえる。案内板によると、元々は函館の五稜郭のような五角形の城壁がさらに外側を囲んでいたようだ。
城の名前は、590年にローマでペストが流行した際に、時のローマ法王グレゴリウス1世が、剣を収める大天使ミカエルを見てペストの終息を知ったことから「Castel Sant’Angelo(聖天使の城)」となったという。


内部に入って、傾いた薄暗い廊下を登ると、2階?にでる。階段にはミツバチの彫刻。サン・ピエトロ大聖堂のシンボルでもある。


階段を上がっていくとカフェなどがある回廊になり、その上が屋上になっていた。城の一番上には大天使ミカエルが剣を鞘に収めている像が建っている。夕日を受けて存在感が増している。


そこからサン・ピエトロ大聖堂はじめ景色が素晴らしい。行ったのは夕方。夕日を受けたローマ市内を一望できる。サン・ピエトロ大聖堂はあいにく逆光だったが。


この城からは秘密の通路があってサン・ピエトロ大聖堂につながっており、有事の際には法王はここに遁れてくるようになっている。見学ツアーもあるが、すでに終了していた。
下りながら、城の周りの回廊を行くと、砲弾とそれを飛ばす武器などが展示してある。実際に使われたものかはわからなかったが、城の性質がわかる。
また、内部の部屋にはきれいな壁画、天井画の部屋もある。あとで知ったが、多くは立体的に見せるだまし絵なのだという。ゆっくり見て下りた。

天使たちが見守る橋

では「自称ゴールデンルート」をスタートしよう。「サンタンジェロ橋」を渡って「ナヴォーナ広場」を目指す。この橋には、10体の天使像が欄干に立てられている。


大理石像で、バロック時代の17世紀に活躍した彫刻家、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニが製作指揮にあたったという。それぞれがイエス・キリストにかかわるものを持っているといい、十字架や磔刑で突き刺した槍などを手にしている。


かつてはサン・ピエトロ大聖堂に行くためにはこの橋しかなかったという。天使たちに見守られ、要塞に見張られて、参拝に行ったのだろう。


橋を渡って進むと、V・エマヌエーレ2世通り(C.so V.EmanueleⅡ)にあたり、左折して進む。「ながらスマホ」はしない。立ち止まって地図と通りや建物の名前を確かめながらナヴォーナ広場に向かう。
道の両側にも面白そうなところがあってもなるべく先に進んだが、誘惑もある。途中、朝市で有名な「カンポ・デ・フィオーリ広場」に立ち寄った。青空市場ふうで野菜など生鮮食料品や日用品の店が軒を並べている。

「花畑」という名前がついているが、元は処刑場。コペルニクスの地動説を支持して、1600年にここで処刑された哲学者ジョルダーノ・ブルーノの像が立っている。


カンチェッリア宮、マッシモ宮、ブラスキ宮など宮殿が固まってあるところに着くと「ナヴォーナ広場」の入口。その前に、休憩を兼ねて道の反対側に立派な教会があったので入ってみた。「サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会」で内部の装飾はきれいだったが、世界遺産登録はされていない。

サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の内部

ナヴォーナ広場の噴水の見事さ

教会の前の道を行き、左の路地を入っていくと、目の前が開ける。「ナヴォーナ広場」に着いた。細長い陸上競技のトラックのような形をしている。古代ローマ時代はドミティアヌス帝の競技場で今より窪んでおり、戦車競技や水を張って模擬海戦などが行われていた。その廃墟につくられ、17世紀に整えられたという。


広場の南から入ることになる。3つの噴水があるが、最初に見るのが「ムーア人の噴水」。北アフリカのベルベル人(ムーア人)がイルカと戦う様子をベルニーニがデザインしたという。


ムーア人が笛のようなものを持っていてそこから水が出ている。おもしろいデザインだが、意味がよくわからなかった。小さな像はトリトンだという。

広場中央にそびえているオベリスクは、26年前に来た時の記憶にも残っている。高くて見にくいが、てっぺんには「天使と悪魔」に出てきたオリーブの枝をくわえる鳩の像がある。

それを囲む大噴水が「四大河の噴水」。これもベルニーニ作で、世界の4つの大河、ガンジス、ナイル、ドナウ、ラプラタを人物で表している。なぜこの4つなのかはわからない。バロック彫刻の天才だったベルニーニだけに、見事な彫刻になっている。

四大河の噴水 ラプラタ(左)とドナウ(右)

頭に布をかぶったナイル、布を被って左手を大きく上げているラプラタ、どっしりと座るガンジス、教会を振り返るように両手を挙げるドナウと、それぞれ動きだしそうだが、ポーズの意味は不明だ。

四大河の噴水 ガンジス(左)とナイル(右)

噴水の前にあるフランチェスコ・ボッロミーニ設計の「サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会」も、ベルニーニと同時期のバロック建築の傑作と言われている。噴水の背後に教会? 教会の前が噴水? なのかは別として、立派なバロック建築。中に入ったが、撮影は禁止だった。豪華な祭壇や装飾があるので、時間があれば目に収めてこよう。


広場の北側にあるのが「ネプチューンの噴水」。17世紀のデッラ・ポルタの作で、中央のネプチューンはどうやらタコと戦っている。海の神なのでタコと戦ってもいいのだが、やはり日本と違ってこちらではタコは悪魔の使いなのだろうか。


広場の左側を南に戻り、中ほどの路地を左に折れて進んでいく。途中に次の目的地「Pantheon」の標識もある。進むと「ロトンダ広場」、そしてその前に「パンテオン」が建っている。

すべての神をまつる1900年前の神殿

パンテオンは古代ローマの遺跡の中で最も当時の姿を残している建物。初代は紀元前25年にアウグストゥス帝をたたえて将軍アグリッパが建てた。火事で焼失後、西暦128年に再建され、それからここにずっとある。

ロトンダ広場とパンテオン

正面から見ると、柱が方形に配置されているので四角い建物の気がするが、その後ろは筒型の丸い建物になっている。


中には無料では入れた。1991年に1度来ているが、天井だけが印象に残っている。今回も中に入ってまず天井を見上げた。
天井には、高さとほぼ同じ直径43.3㍍の巨大ドーム「クーポラ」が載り、真ん中に直径9㍍の円い「窓」がある。雨が振り込んでも下の床で排水できるようにしているそうだ。密封された大きな空間の明かり採りになっている。ローマの技術力には感心させられる。


元々はすべての神をまつる神殿だったという。7世紀初頭に教会になったことで、大事にされてきた。壁の厚さは最大で6㍍もあり、壊すにも大変だからかもしれない。ドーム内側や壁面の装飾は簡素だが、建物を支えるための実用性もあったように思える。


中には皇帝や芸術家たちの墓所がある。有名なのはルネサンス期の芸術家ラファエロ。イタリア王国初代国王エマヌエーレ2世らの墓もある。ここに眠ることを選ぶ魅力がこの建物にはあるのだろう。ここまで出発して2時間少し、まだ元気だ。

ラファエロの墓と石の聖母

戦争の記録としての柱

パンテオン前のロトンダ広場でオベリスクを見て、その先を右、パスティーニ通り(V.d.Pastini)に入る。右手に古そうな建物。ただ「神殿」とあった。名前もない遺跡が街中に突然現れるのはローマならではか。何の神殿か分からないが巨大な壁を見ながら、前のピエトラ広場で少し休憩した。


広場の先の路地を左に入っていくと「コロンナ広場」に出る。ここには世界遺産の「マルクス・アウレリウスの記念柱」が立っている。


高さ29.6㍍で、10㍍ほどの基壇の上に立っているので、約40㍍になる。遠目にも、柱にびっしりと彫刻されているのがわかる。フォロ・ローマの横でみたトラヤヌスの記念柱と同じように、アウレリウスの行った異民族との戦争の記録をらせん状が描いているという。残すということは勝ったのだろう。


193年に完成したとされ、その後16世紀にローマ教皇の命で修復されたそう。失われていたてっぺんの像は聖パウロ像が載せられた。
広場に面した立派な建物が「モンテチトーリオ宮」。国会議事堂になっている。通りを挟んで広場の前にはこれも古そうな建物があり、デパートになっている。
地図を見て、デパートの右側の路地を入っていく。「トレヴィの泉」方向に向かう。すぐ人だかりにぶつかる。泉の左側に出た。

やっと投げ入れられたコイン

さすがに人気の場所なのだろう。「トレヴィの泉」は観光客でごった返していた。


最初にやりたいことがあった。1991年に来たときは噴水の修復工事をしていたために、泉部分が白いビニールシートで覆われていて、コインを投げ入れられなかった。

1991年当時、工事中だったトレヴィの泉

後ろを向き、コインを右手に持って左肩越しに投げ入れると願いがかない、再びローマに来られると聞いている。投げ入れようとする人が多く、泉のふちは順番待ちだが、すぐに交代してくれるので、大して待たなくてもいい。
前回の分も合わせて1ユーロのコインと5円玉を投げた。値段はご利益に関係ないと思う。やっとやり残したことがなくなった。

この泉は250年ほど前、18世紀半ばのゴシック時代に造られた。設計者はニコラ・サルヴィ。背後のポーリ宮殿の壁と噴水の彫刻群が一体になっている。

彫刻は、中央にはネプチューンがトリトンの引く貝殻の馬車に乗っている。左が豊饒の女神ケレース、右が健康の女神サルース。ちょっと雲が出てきたので光の関係か、26年前ほど大理石の白さは感じなかった。


正午近くになったが、この人出ではレストランも混雑していると思い、先に進むことにした。地図で「スペイン広場」への道順を決めた。トレヴィの泉の右を抜けるスタンペリア通り(V.Stamperia)からトリトーネ通り(Via del Tritone)を右折し、6差路の大きな交差点を左折してドゥ・マセリー通り(V.Due Macelli)を真っすぐ行くとスペイン広場に出る。

おなじみスペイン広場の大階段

オベリスクのあるミナレッリ広場に着いたらすぐ先が「スペイン広場」になる。映画「ローマの休日」の舞台としてあまりにも有名。トレヴィの泉ほどではなかったが、観光客は多かった。


やはり、大階段に座って休んでいる人が多い。映画ではオードリー・ヘプバーンがここでジェラートを食べていたが、大階段では飲食禁止。係員が発見すると寄って行って注意している。


大階段は138段あるという。1723年、フランシスコ・デ・サンチェスによって造られた。正式には「トリニタ・デイ・モンティ階段」といい、近くにスペイン大使館があったことから通称スペイン階段と呼ばれる。
階段の名前になった教会が階段上にある「トリニタ・デイ・モンティ教会」。1510年に完成。教会前に立つオベリスクと、2つの塔が目立つ。教会内は入口を少し入ったところまでしか入れない。

教会前から階段越しに見下ろす風景は、一服の清涼剤だ。正面にはコンドッティ通り(V.Condotti)がまっすぐ伸びている。


階段を降りると「舟の噴水」。ベルルーニの父、ピエトロ・ベルルーニが17世紀初頭に造った。広場から伸びるコンドッティ通りは、ショッピングストリート。そこから脇に入ると飲食店も多い。午後1時を回り、昼食にした。

損傷が激しい初代ローマ皇帝の廟

パスタとビールでおなかを満たし、また歩き始める。コンドッティ通りとコルソ通り(Via del Corso)の交差点周辺は一大ショッピング街になっている。
いくつかの店に寄って、交差点のもう1本の道、トマセッリ通り(Via Tomacelli)に入り、テヴェレ川にあたる前の道、リペッタ通り(Via di Ripetta)を右に折れると、右手に「アウグストゥス廟」の遺跡が現れる。

アウグストゥス廟

初代ローマ皇帝のアウグストゥスが前28年に建設した霊廟。今は修復中で、中には入れなかった。円形の巨大な廟だが、遠目にも損傷が激しいように見えた。これも世界遺産の1つになっている。

古代ローマ時代の玄関口

終点が近くなってきた。リペッタ通りをそのまままっすぐ進むと「ポポロ広場」に当たる。この広場はリペッタ通りとコルソ通り、バブイーノ通り(Via del Babuino)が1つになる、三又の道の頂点にある。古代ローマ時代から市街地への入口だった場所だ。
入口には真ん中のコルソ通りを挟んで「双子の教会」と呼ばれる、同じ形をしたのサンタ・マリア・ディ・モンテサント教会とサンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会が建っているらしいのだが、ミラーコリ教会は修復中ですっぽり囲われており、残念ながら双子としては見られなかった。

ポポロ広場に面して建つサンタ・マリア・ディ・モンテサント教会

広場の真ん中には高さ24㍍のオベリスク。古代エジプトのラムセス2世時代のものをアウグストゥスが持ち帰った。別の場所に立っていたが、16世紀にローマ教皇の命で、15世紀以降整備されてきたこの広場に移したという。


この広場の名前は「市民」という意味。ローマへの巡礼者の入口となった城壁の凱旋門は「ポポロ門」として今も現役で、市民が下をくぐっている。広場にはライオンの噴水などもあり、市民の憩いの場なのだろう。

ポポロ広場のライオンの噴水

ポポロ門の隣に市民の力で建てた「サンタ・マリア・デル・ポポロ教会」。遅くなったのと疲れもあって中に入らなかったが、ここも「天使と悪魔」の舞台でカラバッジオの絵画が見られるという。
ポポロ門をくぐったのが午後4時を過ぎ、冬の太陽が傾きかけていた。

ポポロ門(左)とサンタマリア・デル・ポポロ教会

ゴールデンルートはさすがにきつかったが、見るべきものを目にできる。幸いなのは、ほぼ平坦だったことと、休もうと思えば休める店などが道中、たくさんあること。テヴェレ川を渡ってホテルまで、約20分の道のりだった。

1980年登録

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