メンフィスとその墓地遺跡 ― ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(エジプト) サッカラ、ダハシュール地区
屈折ピラミッドは砂漠の中にあって徒歩ではいけないため、赤のピラミッドのあたりから遠めに見る。
屈折といわれる通り、途中から斜面の傾斜角度が変わっており、下部は約54度、上部が約43度。途中まで造ったが、そのまま造ると崩れる危険があるためなだらかにしたといわれる。
下部の傾斜のままだったら、相当とんがったピラミッドになったことだろう。こちらも試行錯誤の中でこしらえたようだ。遠くからでも外側を覆う化粧石が残っているのが分かり、表面はきれいそうだ。
その失敗? を参考にして造ったのが「赤のピラミッド」だという。こちらは最初から屈折ピラミッドの上部と同じく傾斜角約43度。クフ王のものが約51度なので、ちょっと平らな印象を受ける。
失敗から学んだ赤のピラミッド
屈折ピラミッドの失敗から少し弱気になったか。それでも、底辺220㍍の正四角錐で造られた「真正ピラミッド」の始まりとされる。
赤のピラミッドは中に入れるが、体力的に覚悟が必要だ。ピラミッドの2合目あたりにある入り口までまずは上る。カメラは持ち込み禁止だった。
入ると、下りの狭い通路。腰をかがめる、または背の高い人はうさぎ跳びならぬ、うさぎ歩きを強いられる。その姿勢のまま、50メートルぐらいはあった(に感じた)通路を下って玄室とされる部屋につく。
ピラミッドに入るなら体力勝負
クフ同様、殺風景。特に見るべきものはない。そしてまた窮屈な姿勢で引き返す道は上り。汗が噴き出て、ひざが笑い、太ももがつりそうになる。ピラミッドの中にいる、という満足感だけしか味わうことはできない。
外に出て腰を伸ばし、階段を下りるのがきつかった。「階段」→「屈折」→「赤=真正」と、ギザにつながるピラミッドの変遷。苦労して始まったピラミッドづくりは、3大ピラミッドを最盛期に、紀元前1800年代の中王国時代途中からなくなった。
1979年登録
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