メンフィスとその墓地遺跡 ― ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(エジプト) サッカラ、ダハシュール地区
カイロ~サッカラ~階段ピラミッド~ダハシュール~赤のピラミッド・屈折ピラミッド
エジプトに残るピラミッドは、60とも100とも言われるそうだ。一番大きいのが、ギザのクフ王のピラミッド。一番古いのは、サッカラ(Saqqara)のジェセル王のピラミッド、通称「階段ピラミッド」(Step Pyramid)といわれている。2006年、行ってみた。
古王国第3王朝、4600年以上前のお話だ。カイロの南、車で約1時間半ほどのサッカラ村にある。
最初のピラミッド
当時の都メンフィスのネクロポリス(死者の町)としてつくられたそうで、ピラミッドやお墓(マスタバ墳)が点在している。その名の通り、階段状に石が積まれている。
段の平らな部分には、砂や崩れた石の破片のようなものが積もっている。高さ約60㍍、ギザのように大きくはない・が、最古という存在感はギザ以上に思える。砂漠の向こう、遠くには小さく3大ピラミッドが見える。周囲には小さなピラミッドもいくつか見える。
ギザの大ピラミッドのような大きな石は外側には使われていない。ピラミッドを最初に造ったのはジェセル王の宰相イムホテプといわれる。設計変更をして結局階段状になったとか。
崩れないように設計変更
ピラミッド建設はゼロからのスタートだけに、崩れないように何度も考え直したのだろう。強度計算やデータを偽造するような現代の一部設計家、建設会社は見習ったほうがいい。
ガイドブックなどによると、元々エジプトにあったマスタバ墳という四角い墓を積み重ねるという発想だったといわれているらしいが、そもそもなぜイムホテプが造り始めたのだろうか。
ピラミッドが墓という確かな証拠もないので、何のためにという最初の疑問に戻ってしまう。階段ピラミッドの下には地下室があるそうで、そこに王の墓があったとされるので、墓ということでつくり始めたのだろうか。
隣接して、発掘中の墓などの遺跡もあった。ピラミッド・コンプレックス(複合体)という、ピラミッドと葬祭殿などの施設がセットになっているのもここから始まったという。
「葬」とつくから、やはりピラミッドは墓なのだろうか。ただ「葬祭殿」というのも後世の人がつけたのだろうから、まだ分からない。
奇妙な姿の屈折ピラミッド
サッカラの隣に、ダハシュール(Dahsur)がある。ギザの大ピラミッドの主クフ王の父、スネフル王が造った2基のピラミッド(1人で2つ持っているのはこの人だけらしい)がある。
1つが「屈折ピラミッド」(Bent Pyramid)、もう1つが「赤のピラミッド」(Red Pyramid)。どちらも高さ100㍍ほどだ。
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