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メンフィスとその墓地遺跡 ― ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(エジプト) サッカラ、ダハシュール地区

サッカラ~階段ピラミッド~ダハシュール~屈折ピラミッド~赤のピラミッド

エジプトに残るピラミッドは、60とも100とも言われるそうだ。一番大きいのが、ギザのクフ王のピラミッド。一番古いのは、サッカラのジェセル王のピラミッド、通称「階段ピラミッド」といわれている。

古王国第3王朝、4600年以上前のお話だ。カイロの南、車で約1時間半ほどのサッカラ村にある。

最初のピラミッド

 

当時の都メンフィスのネクロポリス(死者の町)としてつくられたそうで、ピラミッドやお墓(マスタバ墳)が点在している。その名の通り、階段状に石が積まれている。

段の平らな部分には、砂や崩れた石の破片のようなものが積もっている。高さ約60メートル、ギザのように大きくはないが、最古という存在感はギザ以上に思える。砂漠の向こう、遠くには小さく3大ピラミッドが見える。

ギザの大ピラミッドのような大きな石は外側には使われていない。ピラミッドを最初に造ったのはジェセル王の宰相イムホテプといわれる。設計変更をして結局階段状になったとか。

崩れないように設計変更

ピラミッド建設はゼロからのスタートだけに、崩れないように何度も考え直したのだろう。強度計算やデータを偽造するような現代の一部設計家、建設会社は見習ったほうがいい。

ガイドブックなどによると、元々エジプトにあったマスタバ墳という四角い墓を積み重ねるという発想だったといわれているらしいが、そもそもなぜイムホテプが造り始めたのだろうか。

ピラミッドが墓という確かな証拠もないので、何のためにという最初の疑問に戻ってしまう。階段ピラミッドの下には地下室があるそうで、そこに王の墓があったとされるので、墓ということでつくり始めたのだろうか。

ギザに比べると石が小さい

 

隣接して、発掘中の墓などの遺跡もあった。ピラミッド・コンプレックス(複合体)という、ピラミッドと葬祭殿などの施設がセットになっているのもここから始まったという。

「葬」とつくから、やはりピラミッドは墓なのだろうか。ただ「葬祭殿」というのも後世の人がつけたのだろうから、まだ分からない。

 

階段ピラミッド前の葬祭殿

 

サッカラの隣に、ダハシュールがある。ギザの大ピラミッドの主クフ王の父、スネフル王が造った2基のピラミッド(1人で2つ持っているのはこの人だけらしい)がある。

1つが「屈折ピラミッド」、もう1つが「赤のピラミッド」。どちらも高さ100メートルほどだ。

奇妙な姿の屈折ピラミッド

屈折ピラミッドは砂漠の中にあって徒歩ではいけないため、赤のピラミッドのあたりから遠めに見る。

屈折といわれる通り、途中から斜面の傾斜角度が変わっており、下部は約54度、上部が約43度。途中まで造ったが、そのまま造ると崩れる危険があるためなだらかにしたといわれる。

下部の傾斜のままだったら、相当とんがったピラミッドになったことだろう。こちらも試行錯誤の中でこしらえたようだ。遠くからでも外側を覆う化粧石が残っているのが分かり、表面はきれいそうだ。

その失敗? を参考にして造ったのが「赤のピラミッド」だという。こちらは最初から屈折ピラミッドの上部と同じく傾斜角約43度。クフ王のものが約51度なので、ちょっと平らな印象を受ける。

失敗から学んだ赤のピラミッド

屈折ピラミッドの失敗から少し弱気になったか。それでも、底辺220メートルの正四角錐で造られた「真正ピラミッド」の始まりとされる。

赤のピラミッドは中に入れるが、体力的に覚悟が必要だ。ピラミッドの2合目あたりにある入り口までまずは上る。カメラは持ち込み禁止だった。

入ると、下りの狭い通路。腰をかがめる、または背の高い人はうさぎ跳びならぬ、うさぎ歩きを強いられる。その姿勢のまま、50メートルぐらいはあった(に感じた)通路を下って玄室とされる部屋につく。

ピラミッドに入るなら体力勝負

クフ同様、殺風景。特に見るべきものはない。そしてまた窮屈な姿勢で引き返す道は上り。汗が噴き出て、ひざが笑い、太ももがつりそうになる。ピラミッドの中にいる、という満足感だけしか味わうことはできない。

外に出て腰を伸ばし、階段を下りるのがきつかった。「階段」「屈折」「赤=真正」と、ギザにつながるピラミッドの変遷。苦労して始まったピラミッドづくりは、紀元前1800年代の中王国時代途中からなくなった。

1979年登録

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