メンフィスとその墓地遺跡 ― ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(エジプト) メンフィス地区
カイロ~メンフィス~プタハ神殿跡
エジプト王朝の歴史を、細かいことは省いて大まかに。約5000年前、紀元前3000年ごろに第1王朝メネス(ナルメル)王がエジプトを統一して始まったのが初期王朝時代。紀元前2650年ごろから古王国時代となり、ピラミッドが多数造られた。
その第3王朝にジェセル王、第4王朝にギザ3大ピラミッドの3人がいる。紀元前2040年ごろから中王国時代を経て、紀元前1565年ごろに新王国時代となった。ツタンカーメンとか、ラムセスとか、聞いたことがある王が登場する。
紀元前750ごろからの末期王朝時代にはアレクサンダー大王に征服され、紀元前305年ごろからのプトレマイオス朝は紀元前30年に滅びるが、最後に登場するのがクレオパトラ。3000年以上続いただけあって、かいつまんでも少し長くなってしまった。
エジプトの歴史を見つめた街
こうした歴史を見てきたメンフィス(Memphis)という街がある。2006年行ってみた。
古王国時代から長く続いた都だそうだ。いまはナツメヤシの畑が広がり、ひなびた田舎町という風情だが、都としては奈良、京都が足元にも及ばない5000年前から栄えていた。日本は縄文時代だ。
都と言っても、当時はそういう概念はなく、メンフィスや後で見るテーベ(現ルクソール)などエジプトの歴史の中でたくさんの都がある。そのときのファラオがいる場所が都ということなのだろう。ツタンカーメンも短期滞在しているという。
プタハ神殿跡に行った。神様がたくさん登場するエジプトでも最古級の神、プタハ神(Ptah)を祭った神殿だという。建築の神で宇宙の創造神とされる。
広場のようなところには石像や石碑が置かれていた。中でも目を引くのが、高さ8㍍のスフィンクス像。ギザに比べるとだいぶ小ぶりだが、きれいな姿をしている。顔はエジプト王朝初の女性ファラオ、ハトシェプスト女王なのだという。
広場には、新王国時代に「建設王」と呼ばれたラムセス2世(Ramesses II)の像が立っている。都はもうメンフィスではなかったはずだが、プタハ神と同じ建築家として通じるところがあったのだろうか。何が書いてあるかは分からないが、石碑か石棺のようなものもある。
横たわるラムセス2世の巨像
神殿跡には小さな博物館もあり、このあたりから発掘された遺物が展示されている。館内に入ると、巨大な石像が横たわっている。ラムセス2世が自らの約15㍍の巨像を造って神殿前に立てたという。
いまは足部が壊れていて寝かせられている。2階からみなければ全体が見られない。上から見るとその大きさがよく分かる。
巨像の周りを回ることができたので、グルッと1周した。ラムセス2世の名前が書いてあるカルトゥーシュが刻まれている。こぶしだけで人の背丈はありそうだ。
元々は2体一対だったそうで、もう1体はカイロのラムセス中央駅に立っている。立ち姿を見たい方は現代の首都カイロでどうぞ。
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