姫路城(日本)

伊丹空港~姫路城

「白鷺城」は2015年3月に平成の大修理が終わり、「大天守」は真白な姿になった。大修理後の姿はこれから見られるだろう、ならばその前の姿を見ておくのもいいかもしれない。そう思って本格工事に入る直前の2010年、行ってみた。

大改修前の姿は?

姫路城の横には巨大なクレーンが置かれ、大天守を覆う準備が行われている最中。まだ、全体が見られた。

伊丹空港でレンタカーを借り、姫路城へは渋滞もあって2時間近くかかった。姫路駅からはバスもあり、歩いても20分ぐらいだという。
駐車場から城に向かって歩いていると、同じ「昭和の姿を」と思っている人が意外とたくさんいた。平日だったが登城する人は多く、入口で大天守に登るのは1時間待ちと言われた。
「内曲輪」の本丸にある大天守とそれを囲む3つの小天守を目指した。曲輪は区画のことで、建物や塀、堀などで区切られている。
まず「菱の門」という立派な門をくぐった。

菱の門

大天守まで曲輪はたくさんあり、つながる道も曲がっていて、度々門をくぐる。それら小さな門には「いの門」「との門」など「いろは」がつけられている。
大天守や小天守、櫓をつないで内部を通る廊下のような「渡櫓」という建物にも「イロハ」がついている。

かつて、登城する人は「い門と、に門を通ってホ渡櫓に入って」などという感じで道順を覚えていたのだろうか。
見上げると道々、大天守が見え隠れするが、たどり着くのはちゃんと「順路」を通らないと着かないかもしれない。城なので、攻め入ってきた敵に迷ってもらわないといけないので当然か。
そうこうしているうちに、大天守に登る行列の最後尾に着いた。

防御の仕組みがよくわかる

ゆっくりと列が進むので、周囲を見る時間がたっぷりある。建物や塀の壁は、白いしっくいで塗り固められ、さすが「白鷺城」。少しくすんでいるのは主にカビなのだという。


白壁のところどころに四角い穴が開いている。「狭間(さま)」という矢や鉄砲の射撃用の穴で、城全体で1000近くあるという。
壁に隠されるように「石落とし」も随所に設置されている。ここから敵に向かって石を落とした穴だ。

壁に空いた狭間と石落とし(右)

ただ、それら防御設備も城の景観を損ねないようになっているところが、美意識なのだろうか。
軒瓦には家紋が施されていて、やはり池田家の「揚羽蝶」が多い。機能と美観を兼ね備えている。


姫路城の成り立ちや構造など詳細は他に譲るとして簡単に。築城は14世紀半ばが有力。1600年の関ケ原の戦い後に城主になった池田輝政の大改修で、現在のような大天守を持つ壮麗な城になった。

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