カトマンドゥ盆地(ネパール)

カトマンドゥ市街~ダルバール広場~パタン~バクタプル~パシュパティナート~ボダナート~スワヤンブナート

2015年、ネパール全土が大地震に襲われ、首都カトマンドゥ(Kathmandu)をはじめ大きな被害があった。世界遺産の建造物も多くが破壊されて、修復困難なものもあるという。あの美しい街並みがどうなっているのか、行った時と今ではまったく違うかもしれない。復興が進んでいることを祈りたい。
カトマンドゥには大地震の4年前の2011年、行ってみた。トリブヴァン国際空港には夜、着いた。急ぎ足で既に列が出来ているビザカウンターに向かった。顔写真と申請書は用意していたが、その後の手続きに必要な入国カードをボックスから取って、立って書きながら申請の列に並んだ。
流れ作業で意外と早く進む。係員にパスポートを奪われ、1人25ドルを支払うとビザのシールをペタリと張られた。間一髪で入国カードを書き終えて即入国審査。あわただしいネパール入りだった。

カトマンドゥの中心、ダルバール広場へ

カトマンドゥの中心、ダルバール広場(旧王宮広場、Durbar Squar)に向かう道で、木造の家々の古さにまずびっくりする。昔のまま使っており、1階が商店になっている建物も多い。


広場に入り、カトマンドゥ最古級、12世紀ごろ建てられたという「カスマンダプ寺院」に入る。「木でつくった」という意味で、カトマンドゥの由来にもなったという。


巡礼者の旅籠としても使われていた木造の建物。信仰心が篤い国と聞いていた。民族によって違いはあるそうだが、置いてある仏像とヒンドゥーの神の像を1つ1つ回ってお参りしていく。


外に出て、白壁の旧王宮を背に広場を見渡す。左にはクマリの館があり、道を挟んでナラヤン寺院、真ん中に基壇が高くなっているシヴァ寺院はともに三重塔、右にシヴァ・パールヴァティー寺院が目に入る。
この広場には大小20ほどの建物があるという。しばし足が止まった。

女神の化身「クマリ」の館へ

ガイドに促されて「クマリの館」の門をくぐる。クマリはヒンドゥー教最高神シヴァ神の妃パールヴァティー(ドゥルガーと同一神)の化身で、願いを叶えてくれる生き神。ネワール族の少女から選ばれ、月経が始まるまでこの館で暮らす。
中庭に面した窓から時折顔を出すという。撮影は禁止。残念ながら顔を見せなかった。「パタンにもいますので、会いに行きましょう」とガイド。クマリは1人ではないらしい。

カトマンドゥ盆地には、主民族のネワール族の祖先が住んでいたが、4世紀にインド系民族が征服、13世紀にネワール族のマッラ王朝が治め、15世紀に3つの王国(カトマンドゥ、パタン、バクタプル)に分かれた。3王国が建築、彫刻など芸術で競い合ったという。


三重塔になっている「シヴァ寺院」に上った。眺めはいい。目の前にたつ旧王宮の真っ白い洋風の建物にはちょっと違和感を覚える。壁には英国国旗をデザインした透かしがあるのも、広場の雰囲気にそぐわない気がした。

塔を下りて左に向かうと「シヴァ・パールヴァティー寺院」。2階の窓から夫妻の像が下界を眺めている。こんな発想は楽しい。

猿の神、怖い顔の正義の神…

旧王宮「ハヌマン・ドカ」に向かう。「ハヌマン」はヒンドゥーの猿の神、ドカは門。門の名前が王宮全体を表すようになった。


口にはあふれるほど食べ物が押し込まれ、供え物に埋もれている人気者のハヌマン像のある門をくぐって中庭をのぞいた。閑散としてただ広いという感じ。左にクリシュナ寺院の高い塔がみえる。


門の前には16世紀に建てられたジャガンナート寺院。柱などには官能的な彫刻が刻まれているので、興味のある方はじっくりと観察を。境内ではのんびりと牛が歩いていた。奉納されて放された「野良牛」だという。


クマリの館に戻る途中、変わった石像があった。「カーラ・バイラヴ」という、シヴァ神が破壊神になったときの化身といい、頭蓋骨のネックレスや蛇を体に巻き、手には剣や生首を持っている。

ただ、顔は意外とユーモラスで人気も高いようで、子どもも怖がらず普通にお参りしている。
この像の前で嘘をつくと死ぬとされ、かつては罪人に像の前で自白させたという。閻魔大王? 人間界にとっては「正義の神」のようだ。

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