アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(エジプト)

アブ・シンベル空港~アブ・シンベル大神殿~アブ・シンベル小神殿~アスワンハイダム~フィラエ神殿

世界遺産の代名詞にもなっているエジプト・ヌビア地方の「アブ・シンベル神殿」。2006年、行ってみた。
ヌビア地方はエジプトの首都カイロからナイル川を遡って(南下して)、現在のスーダンとの国境付近にある。かつては、ナイルの源流といわれた地方で、今はアスワンハイダムによってできたナセル湖という人口湖が広がっている。

世界遺産の象徴といわれる訳は

ナセル湖岸に、アブ・シンベル神殿は建っている。アブ・シンベルに着く飛行機からも見える。


元々は、今の場所よりも約60㍍下にあった。アスワンダム建設で湖に沈んでしまうため、ユネスコによって1000以上のブロックに切り分け、1964年から68年にかけて現在の場所に移築した。
世界的なプロジェクトで人類の遺産を守る、という世界遺産の概念の始まりだったとされる。

アブ・シンベル大神殿

岩山をくりぬいて造った岩窟神殿だったが、現在の山はコンクリートで基礎が造られているという。
元々の神殿を造ったのは、約3000年前のエジプト新王国第19王朝のラムセス2世。この名前は、エジプトではよく聞く名前で「建設王」とも呼ばれ、カイロ郊外のメンフィスにあった「巨大像」の人でもある。


多くの建築物、建造物に自分の彫像を置いたり、カルトゥーシュという、古代エジプトの文字ヒエログリフで書かれた名前を輪で囲んだものを刻んでいる。日本で言うと印や花押といったところか。
ガイドは「90%は他の人の建造物に自分のカルトゥーシュだけを入れた。ずるいファラオ」と、3000年以上前のことに憤慨し「私はトトメス3世が好き」という。


ファラオは、今のエジプトの人たちにとってけっこう身近な存在なのだろう。日本でいえば、信長や秀吉、家康といった戦国時代の武将といった感じなのかもしれない。
ラムセス2世の建造物はあまり信用できないようだが、一番力を入れたと思われるのが、アブ・シンベル神殿ということになる。ちなみに、彼に会いたい方はカイロの考古学博物館のミイラ室に安置されている。

巨大な4体のラムセス2世像

大神殿。太陽神ラーをまつっているという。正面にある巨大な4体の像(1体は崩れているが)はすべて、ラムセス2世本人という。よほど、自分好きだったのだろうか。


足元には、子供ら家族の像が小さく置いてあり、外壁面のレリーフはくっきりとしている。神殿内へはカメラは持ち込み禁止だった。


入ってすぐに、オシリス神(冥界の王、穀物神)の格好をした、ラムセス2世の像が柱になって8本立っている。エジプトの神々の詳細は割愛するが、オシリスと、妻で妹の太陽神ラーの娘イシス、この2人の息子のホルスはこのあたりではたくさん出てくるので知っていると便利だ。
壁面には、トルコ・アナトリア地方のヒッタイトとの「カデシュの戦い」などさまざまな物語、神話のレリーフがびっしり刻まれている。


カデシュの戦いは証拠が残る最古の和平条約が結ばれた戦いで、エジプトにとっては負けに等しい引き分けだったことが、ヒッタイトの遺跡であるトルコ・ハトゥシャ遺跡の発掘でほぼ確かめられている。
ここエジプトでは華々しく勝ったように描かれているが…いつの世も、独裁者は自分を偉大にみせようとするものだ。


神殿の一番奥にある「至聖所」には、太陽神ラー、守護神アメン・ラー、宇宙の創造神プタハと自分を、神として描いた像の4体が並んでいる。
春分、秋分には、神殿入り口から差し込む太陽の光が、4体の像の真正面から当たるようになっているという。3000年前の技術もすごいが、同じになるように移築した現代の作業の正確さにも感心する。

アブ・シンベルの両神殿。大神殿(左)と小神殿

砂に埋もれていたのが幸いした

小神殿。大神殿から数分歩いたところに造られている。こちらは、ラムセス2世の王妃ネフェルタリのために造られ、美の女神ハトホル神をまつってあるという。

アブ・シンベル小神殿

王妃の名は「もっとも美しい女性」の意味で、古代エジプト3大美人(ネフェルティティ、クレオパトラ)の1人だそう。神殿の正面には、ネフェルタリの像2体と、ラムセス2世像4体がそびえたっている。自分の方が多い。


こちらも、壁面のレリーフははっきりと残っている。両神殿とも大きいことはもちろんだが、20世紀初めに掘り出されるまで、長く砂に埋もれていたのが幸いしたのだろうか、砂漠の風化の影響が少なかったため、精緻なのが印象的だ。


ピラミッド建設は、民衆のための公共事業だったという説が有力。こちらの両神殿は、ラムセス2世が富と権力を誇示するための建設とも言われているので、庶民には迷惑だった事業だったのかもしれない。

王朝を立ててしまった辺境の王

ヌビア地方というのは、先述した通り、ナイルの上流、今のエジプトとスーダンにまたがる地域のことで、いわば辺境の地だった。
「ヌビア」とは黄金の意味だという。金が採れた。となれば、だれかに狙われる。エジプト王朝は、ヌビア遠征と称して古王国時代の紀元前2600年ごろには既に支配下に置いた。
ただ、搾取されているだけではなく、エジプト王朝が不安定だった紀元前744年にはヌビア(クシュ王国)の王がエジプト全土を征服して第25王朝を立ててしまったというから、被征服者としては痛快だっただろう。
現在は、アスワン・ハイダムによって、かつてナイル川に沿って栄えた場所が水没してしまっている。


数多くの遺跡もあったが、アブ・シンベル神殿同様にユネスコの救済事業で移築などによって助かったものもある。
ダムの街アスワンにはヌビア遺跡群の1つ、フィラエ神殿(イシス神殿)がある。ナイル川に浮かぶフィラエ島にあったが、少し高い隣のアギルキア島に移築された。
この島をフェラエ島と改名した上、元のフィラエ島に似るように島全体を改造したというから、ただの移築ではない、こだわりを感じる。島へは、渡し舟でいく。

エジプト統一の証を伝える神殿

船着場から上っていくと、イシス神殿に入る四角い塔門が目に付く。アブ・シンベル神殿が壮大すぎて比較にならないが、こじんまりして実用的な神殿という感じ。壁に刻まれたレリーフがくっきりしている。

フィラエ神殿

移築される前に数カ月、壁の半分ぐらいまで水に浸かっていたので色が変わっていると説明された。確かに色が少し違うが、気にならなかった。


右手には上部に彫刻を施した柱が並んでいる。パピルス、ハスなどを表しており、パピルスはナイル川下流の下エジプト、ハスは上流の上エジプトの象徴で、共存しているのは統一エジプトの証だという。


しかし、塔から離れた方の柱は、柱頭の彫刻がされていない。この一帯の遺跡は、末期王朝最後の第30王朝時代(紀元前380年~)から建設が始まってローマ時代まで続いたというが、どうやら完成しなかったということらしい。


ただ、後世の人にとっては、建築過程がよく分かる貴重な神殿になった。

精緻なレリーフが刻まれた神殿内

塔門をくぐって神殿の中に入る。壁に囲まれた庭のようになっていて、壁面にはさまざまなレリーフが刻まれている。さすがに名前の通り、イシス女神に関するものが多い。


エジプトの神話や神々の家系図を知っていれば、もっと楽しめると思う。ちなみに、イシス女神は太陽神ラーの娘、冥界の王オシリス神の妹で妻、ハヤブサの姿をした天空の神ホルス神の母というなにやら複雑な感じだ。
レリーフにもこれらの神々はふんだんに登場する。太陽光や風雨にさらされていなかっただけあって、繊細なレリーフはかなりくっきりと残っている。ただ、神殿内は照明が暗いので、目を凝らしてみないとはっきり分からないところもある。


フィラエだけではなく、神殿のレリーフなどでよく見かけるのが「アンク」という「生命」「命のカギ」と呼ばれるもの。十字の上に輪がついたような、動物の雌を表す記号のような、♀の形をしている。


人が手を横に伸ばした形ともいわれているそうで、フィラエでも、神や王、王族が輪の部分を手に持った状態で描かれている。この「命」のやりとりといった描き方が大切らしい。土産物でも銀製アンクをよく見かけるので、興味のある方はどうぞ。


ユネスコの水没からの救済事業では、アブ・シンベル、フィラエ両神殿ほかカラブシャ神殿など14の遺跡がナセル湖の水面より上に移築され、当時で費用は8000万ドル(288億円)以上かかったという。一からつくったら、この額では済まないだろう。
アスワンハイダムによってエジプトの治水は大幅に向上して暮らしがよくなったという。価格で遺跡の価値は決まる訳ではないが、現在と過去を両立するのはそれぐらい大変だということなのだろう。

1979年登録

  1. この記事へのコメントはありません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。