ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、ヴァチカン) 古代ローマ遺跡
古代ローマについて簡単に。ガイドブックなどによると、発祥は謎。伝説としてはロムルス(Romolo)とレーモ(Remo)の兄弟が最後は争いながらもローマを築いたというのが3000年前。ローマの名前の由来になったともされる。
前509年に共和制ローマが誕生。前494年に民主的共和制となり、国家として力をもって前270年ごろにイタリア全土を収め、ローマ帝国になった。フォロ・ロマーノに名前をみられる皇帝たちの時代になる。
領土は拡大を続けたが、異民族の侵入などもあって5世紀末に西ローマ帝国が滅ぶなど衰退していった。それでも1000年以上の歴史がこの遺跡にある。
神殿、バシリカ、凱旋門…巨大建造物が連なる
さて、ヴェスタの巫女の家に下り、十字路を右に聖なる道を行く。左手の大きな神殿は「アントニウスとファウスティーナの神殿」。教会として使われていたため、保存状態がいいのだという。
変わった建物がある。「ロムルスの神殿」。マクセンティウス帝が戦争で死んだ息子をしのんで建てたという。ローマ発祥の人の名前をつけたのだろうか。円形で扉は彫刻された青銅製。建てられたままのものだという。
その隣に巨大なアーチを持った建物。「マクセンティウス帝のバシリカ」で、この辺りでは目を引く建物だ。従来の柱を使ったバシリカではなく、アーチと壁で作ったという。この人は息子の神殿といい、面白い建築発想をしたらしい。
最後に見たのは「ティトゥス帝の凱旋門」。こちらもきれいな姿をとどめている。その先に、フォロ・ロマーノのもう1つの入口があり、そこから入るとこの凱旋門が起点になる。先のコロッセオを見た人はここから入場する。
出口は凱旋門を少し下りて回り込んだところにあるので案内板を見逃さないように。出られなくなる。ここまで3時間近くかかった。
コロッセオは成長している
ローマを象徴する建物は世界遺産「コロッセオ」(Colosseo)だろう。フォロ・ロマーノを出ると前方にすぐ見えてくる。
72年に完成。長径188㍍、短径156㍍のだ円形で高さ48.5メートル、5万5000人収容というから、東京ドームなみの集客力を誇る円形闘技場。「コロシアム」の語源になった。
26年前にも内部を見た。今回も入ってみたが、フォロ・ロマーノ同様に感じが違う。
壁がちゃんと揃えられ、高くなっている気がした。よく見ると、上部は少し新しいように見える。壁面もきれいになっているようだ。帰国して比べてみたが、やはり「成長」している。
民衆に与えられた「サーカス」の舞台
その時のガイドによると、皇帝の合い言葉は「民衆にパンとサーカスを」で、食べ物と娯楽を民衆に与えることで権力を維持していた。「サーカス」として奴隷、捕虜、罪人らの剣闘士同士で決闘させたり、ライオンなど猛獣との戦いが行われていた。
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