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ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、ヴァチカン) 古代ローマ遺跡


最後に見たのは「ティトゥス帝の凱旋門」。こちらもきれいな姿をとどめている。その先に、フォロ・ロマーノのもう1つの入口があり、そこから入るとこの凱旋門が起点になる。先のコロッセオを見た人はここから入場する。
出口は凱旋門を少し下りて回り込んだところにあるので案内板を見逃さないように。出られなくなる。ここまで3時間近くかかった。

コロッセオは成長している

ローマを象徴する建物は世界遺産「コロッセオ」(Colosseo)だろう。フォロ・ロマーノを出ると前方にすぐ見えてくる。


72年に完成。長径188㍍、短径156㍍のだ円形で高さ48.5メートル、5万5000人収容というから、東京ドームなみの集客力を誇る円形闘技場。「コロシアム」の語源になった。
26年前にも内部を見た。今回も入ってみたが、フォロ・ロマーノ同様に感じが違う。


壁がちゃんと揃えられ、高くなっている気がした。よく見ると、上部は少し新しいように見える。壁面もきれいになっているようだ。帰国して比べてみたが、やはり「成長」している。

1991年当時のコロッセオ内部

民衆に与えられた「サーカス」の舞台

その時のガイドによると、皇帝の合い言葉は「民衆にパンとサーカスを」で、食べ物と娯楽を民衆に与えることで権力を維持していた。「サーカス」として奴隷、捕虜、罪人らの剣闘士同士で決闘させたり、ライオンなど猛獣との戦いが行われていた。


闘技場は床?がはぎとられて地下の部屋がむき出しになっている。ここに剣闘士や猛獣らが控えていて、エレベーターで地上に上がったという。演出効果もある施設だった。


少なくとも523年まではこうした「サーカス」が続いていたとされる。その後、キリスト教徒殉教の地として残されたが、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂などの建築資材として多くの大理石が持ち去られたという。


ファサードと呼ばれる一番外側の壁も半周分ぐらいがなくなっている。後世の人には格好の「採石場」だったのだろう。


すぐ横に道路があり、車が通り抜けていく。以前はもっと近いところを走っていたようにも思えたが、こうした古代遺跡と現代の街が融合しているところがローマなのだろう。

彫刻を拝借してきた凱旋門

コロッセオのすぐ近くに「コンスタンティヌスの凱旋門」(Arco di Constantino)がある。315年に西ローマの副帝コンスタンティヌスが正帝を名乗っていたマクセンティウスを破って西ローマ皇帝になったことを記念してつくられたという。


高さ21㍍で壁面にびっしり彫刻が施してある。ただ、コンスタンティヌス帝とは関係ないものが多いのだという。これは古い建造物に使われていた彫刻を転用したからと言われている。


1960年ローマ五輪ではマラソンゴールになったので、裸足のアベベがここを駆け抜けた。世界遺産の凱旋門らしい使い方だ。地下鉄コロッセオ駅からテルミニ駅に向かい、荷物を引っ張り出した。

今も現役で使われる浴場の用途は?

古代ローマ帝国時代の世界遺産で「カラカラ浴場」(Terme di Caracalla)も知られている。1991年に行った際に一部を見た。バスツアーにはなかったので、夏の強烈な日差しの中、路線バスに乗った。
教えられたバス停で降りたが、表示が見当たらず、茶色っぽい、古そうな、崩れかけた、壁みたいなものが見え「あれか?」と思いつつ近寄ったらカラカラ浴場だったと記憶している。

1991年当時のカラカラ浴場

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