ハットゥシャ・ヒッタイトの都(トルコ)

カッパドキア~ボアズカレ~ヤズルカヤ

人類史上初めて鉄器を使った民族とされる古代ヒッタイト(Hittites)の遺跡が、トルコにある。世界史で勉強した記憶のある方もいるだろう。トルコ中央部、高原地帯の中央アナトリア地方に王国を築いた。

遺跡のある街ボアズカレに2004年、行ってみた。カッパドキア方面から宗教都市のコンヤに行く途中にある。

世界で初めて鉄器をつくった民族

歴史に輝く鉄器文化を持つ民族の割には、長らく歴史の舞台から消えていた。紀元前2000年ごろというから、約4000年前に登場し、紀元前1400年ごろには鉄を鋳造していたといわれる。紀元前1190年ごろに西から侵攻してきた「海の民」によって崩壊したとされている。

その後、20世紀初頭にヤズルカヤ(Yazılıkaya)の遺跡から楔(くさび)形文字の粘土板が大量に発見、解読された。楔形文字はメソポタミアと習ったので、その系統の民族なのだろうか。

ヒッタイトの首都はハットゥシャ(Hattusha、ハットゥシャシュHattuşaş)という名前で、ボアズカレ(Boğazkale、旧名ボアズキョイ)にあったと記されていたことで、この地が発見、発掘された。3000年ほど、眠りについていたことになる。

なだらかな広い丘に建物の遺構が点在する。まだ観光地化されていないのか、発掘優先なのか、道路をはじめ観光用に整備されているとはいえなかった。

バスで丘の頂上に着いた。丘の途中で見たのは、レンガを積み重ねたような遺跡だったが、ここは違う。大きな石を使った城壁が往時のまま残っている。「ライオンの門」の前に止まる。

こちらを向いて口を開けたライオンの像が門の両側に鎮座している。進入しようとする敵に睨みをきかせていたというが、この愛敬のある顔ではどうだろう。1体は顔が無くなっていた。

 

鉄の武器で古代エジプトにも勝利

城壁にはほかにも、スフィンクスが門を固める「スフィンクスの門」や、とんがり帽子をかぶった兵士のレリーフがある「王の門」などが残っている。

兵士のレリーフが妙にきれいなのはレプリカで、本物は首都アンカレのアナトリア博物館にある。

王の門の門柱には大きな石が積まれているが「つなぎ目のところに注意してください。つないでいる楔が鉄製なのです」とガイドが説明した。すきまを覗き込むと、鉄の棒のようなもので、上下の石が固定されていた。さすが鉄器の民。

ヒッタイトの最盛期、紀元前13世紀ごろに、ハットゥシリ3世はエジプトの最盛期の王ラムセス2世とシリアで戦った。「カディシュの戦い」と呼ばれる。

エジプトのルクソールにあるカルナック神殿には、エジプトが勝利して和平を結んだと記されているが、こちらで発見された粘土板によると、どうやらヒッタイトの勝利と言える展開だったらしい。どこかの国の大統領選のようなだ。

いずれにしろ、世界で初めての和平条約締結がこのハットゥシャ発掘で証明されたという。

世界的な遺跡が多数残っているエジプトに比べて、痕跡をさほど残さずに滅んだヒッタイトの影は歴史の上では薄いが、鉄(製鉄)が世界に広まったのは、ここにいた人たちの功績なのだろう。

広大な街を想像させる礎石群

城壁にはトンネルがあり、そこを抜けると城壁の内側に入れる。トンネル内は、天井が中央に向かって細くなるように積み上げてあるのだが、今のも崩れてきそうな感じがしてちょっと怖い。

 

トンネルを抜けると、なだらかな丘の斜面を上から眺める感じになる。そこから下りながら遺跡の中に入る。ばらまいたような石は、かつてあった建物の礎石のらしい。

広大な街だったのは分かるが、素人目には何の建物が、どこにあったのかもよく分からない。

丘を下ると「ここに大神殿がありました」(ガイド)と、大神殿跡にでる。これも、建物があるわけではないので、想像するしかない。

大きなサイコロのような緑色の石が置いてある。街があった当時から置かれていたらしい。使い方は分からないが、祭祀に使ったものだろうか。

建物の礎石やレンガが整然と並んでいたり、無造作にゴロゴロと転がっていたり。宮殿や礼拝所などもあったというが、行った時はまだ整備されていなかったので、標識なども「立ち入り禁止」ぐらいしかなかった。今は特定されているのだろうか。

ハトゥシャの聖地ヤズルカヤ

ハットゥシャから車で15分ぐらいのところにあるのが、ヤズルカヤの遺跡。ヒッタイトを再び世に出した粘土板が発見された。トルコ語で「碑文のある岩」という意味だそうで、ヒッタイトの聖地だった。

切り立った岩山に細い通路があり、天然のトンネルをくぐったりしながら入っていくと広場のようなところに出る。

周りの岩壁には、トゥドハリヤ4世ら王や、さまざまな姿、形をしたヒッタイトの神々が彫られている。1000の神がいたというので、日本でいうと八百万(やおよろず)の神といったところか。

 

儀式の様子などのレリーフが刻まれている。王の門で見たとんがり帽子の人も描かれている。さすがに4000年もたつと、乾燥地帯とはいえ、かなり風化している。もう薄くなって見えなくなっているものも少なくない。

また、祭壇らしいところもある。鉄器という優秀な武器を持ったため、領土拡大の戦争が多かったらしい。必勝祈願などをしたのだろうか。

 

1986年登録

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