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ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、バチカン) 古代ローマ遺跡

ローマ・テルミニ駅~トラヤヌスの記念柱~フォロ・ロマーノ~コンスタンティヌス帝の凱旋門~コロッセオ、カラカラ浴場

どれが世界遺産で、どこがただの街並みなのか、よくわからない。ローマは、そんな街だ。
1991年に一度行ったことがある。2泊して有名観光地を回る「初心者」向けのバスツアーで見て回った。四半世紀ぶりの「永遠の都」へ2017年、行ってみた。今度は3泊4日。当時の記憶をたどり、点在する世界遺産を探しながら街を歩いてみた。
フェウミチーノ国際空港からバスでローマ・テルミニ駅に。駅に荷物を預けて、世界遺産「フォロ・ロマーノ」に向けて駅前から伸びるカヴール(Via Cavour)通りをだらだらと下っていく。
早めの昼食の時間だったので、混む前に道沿いに軒を連ねる店の前にあるメニューを確かめて入った。途中で「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」に立ち寄ったが、それは別掲する。
腹ごしらえして歩き出すと、大きな道路(Via dei Fori Imperiani)に突き当たって視界が開ける。道を挟んで目の前にフォロ・ロマーノが広がっている。そちらに渡らず、右手に行く。ここにも古代ローマ遺跡がある。「アウグストゥスのフォロ」で、石積みの建物の一部が残っている。

フォロは皇帝たちの政治の中心

「フォロ」というのは政治、宗教、商業の中心地で、英語のフォーラムの語源と言われているそうだ。
先に進むと今度は「トラヤヌスのフォロ」。ローマ皇帝の詳細については他に譲るとして、皇帝によってそれぞれのフォロがあったのだろう。ここにはトラヤヌスのマーケットという、小さな部屋が寄り集まったような建物があった。最古の市場跡なのだという。2つのフォロはともに2000年近く前のものだが、世界遺産に登録されていない。


肝心なのはその奥にあるりっぱな柱。世界遺産の「トラヤヌスの記念柱」だ。113年にトラヤヌス帝がダキア人(ルーマニア地方)との戦いに勝利した記念に建てられた。


高さ40㍍、17個の大理石ブロックを積み上げているという。近づけなかったが、表面にはびっしりと人物を中心とした彫刻がある。らせん状に23周しているといい、下から上に物語が描かれている。今でいうとニュース映像のようなものだろう。


ここで道を渡り、フォロ・ロマーノの横に出る。柵はあるが、歩道からも見られるので、それでいいという人は歩道から眺めるだけでも雰囲気はわかる。渡ってすぐ見えたのが「カエサルのフォロ」。列柱しか残っていないが、あのカエサル(シーザー)だ。

カエサルも歩いた「聖なる道」をいく

遺跡に沿って戻ると、フォロ・ロマーノの入口。パラティーノの丘とコロッセオとの共通入場券で入った。四半世紀ぶりに見たが、印象が違う。建造物がたくさんある。もっとスカスカだった記憶があったので、当時の写真を引っ張り出した。

1991年当時のフォロ・ロマーノ

当時は修復作業が行われていたので、この26年でかなり進んだのだろう。ガイドブックを片手に、案内板を見ながら歩き始めた。遺跡中央の聖なる道(Via Sacra)をまず右に折れると「エミリアのバシリカ」。前179年に監察官レピドゥスが建てたもので最も古い遺構の1つだという。


バシリカというのは方形で、部屋を側廊で囲んでいる建物で、古代ローマでは司法関係に使われたといい、教会のことを指すようにもなった。
地図によると道は突き当たりそうなので、まずは右側だけを見ていく。4階建ての「元老院」がちゃんとしているが、基壇しかない、柱しかないといった建造物が多いので、目立つものを見ていこう。丘になる突き当りには多くの遺構が残る。


正面に大きく見えるのが「セヴェルス帝の凱旋門」。203年に東方との戦勝記念に建てられた。


壁面には彫刻があり、戦いの様子が描かれているようだ。高さ23㍍、幅25㍍。この辺ではきちんと残っている遺構の1つだ。


凱旋門の左手上方に古代の遺構の上に現代の建物が建っている。「タブラリウム(公文書館)」の遺跡の上に市庁舎が建っているのだという。こうした使い道も「3000年の都」ならではなのだろう。

左には「サトゥルヌスの神殿」。円柱8本が建ち、農業の神をまつった神殿で、紀元前に建てられたローマ最古の痕跡の1つだという。この辺りの丘はカンピドーリオの丘と呼ばれる。


1991年当時はまだ修復中だった。こうして少しずつ、フォロ・ロマーノは元の姿を取り戻していくのだろう。

1991年当時修復中だったサトゥルヌスの神殿

聖なる道を引き返す。今度は右手に「フォカスの記念柱」「カエサルのバシリカ」「カエサルの神殿」などをみながら十字路にでる。左に行くとさっき入った入口(出口)なので右に曲がる。右角にあるのが「カストルとボルックスの神殿」。大きな柱が3本立っている。


左角には「ヴェスタの神殿」があり、その奥に「ヴェスタの巫女の家」がある。ヴェスタは火の神で、神殿には火がともされ、巫女が守っていたという。

パラティーノの丘からの絶景

ここから背後の「パラティーノの丘」に登る。名前はわからなかったが、丘の斜面にある遺跡の中を登って行くと丘の頂上へ。ここからフォロ・ロマーノを一望できる。26年前は登らなかったのが(登れたかどうか記憶にないが)惜しまれる。


丘の上は平坦で、皇帝の宮殿がつくられ、身分の高い人たちの住宅街だったという。庭園や建物の遺構を見ながらパラティーノ博物館で一服。「スタジオ」と名付けられた遺跡などを見て引き返した。

パラティーノの丘にある遺跡「スタジオ」

古代ローマについて簡単に。ガイドブックなどによると、発祥は謎。伝説としてはロムルス(Romolo)とレーモ(Remo)の兄弟が最後は争いながらもローマを築いたというのが3000年前。ローマの名前の由来になったともされる。
前509年に共和制ローマが誕生。前494年に民主的共和制となり、国家として力をもって前270年ごろにイタリア全土を収め、ローマ帝国になった。フォロ・ロマーノに名前をみられる皇帝たちの時代になる。
領土は拡大を続けたが、異民族の侵入などもあって5世紀末に西ローマ帝国が滅ぶなど衰退していった。それでも1000年以上の歴史がこの遺跡にある。

神殿、バシリカ、凱旋門…巨大建造物が連なる

さて、ヴェスタの巫女の家に下り、十字路を右に聖なる道を行く。左手の大きな神殿は「アントニウスとファウスティーナの神殿」。教会として使われていたため、保存状態がいいのだという。


変わった建物がある。「ロムルスの神殿」。マクセンティウス帝が戦争で死んだ息子をしのんで建てたという。ローマ発祥の人の名前をつけたのだろうか。円形で扉は彫刻された青銅製。建てられたままのものだという。


その隣に巨大なアーチを持った建物。「マクセンティウス帝のバシリカ」で、この辺りでは目を引く建物だ。従来の柱を使ったバシリカではなく、アーチと壁で作ったという。この人は息子の神殿といい、面白い建築発想をしたらしい。


最後に見たのは「ティトゥス帝の凱旋門」。こちらもきれいな姿をとどめている。その先に、フォロ・ロマーノのもう1つの入口があり、そこから入るとこの凱旋門が起点になる。先のコロッセオを見た人はここから入場する。
出口は凱旋門を少し下りて回り込んだところにあるので案内板を見逃さないように。出られなくなる。ここまで3時間近くかかった。

コロッセオは成長している

ローマを象徴する建物は世界遺産「コロッセオ」だろう。フォロ・ロマーノを出ると前方にすぐ見えてくる。


72年に完成。長径188㍍、短径156㍍のだ円形で高さ48.5メートル、5万5000人収容というから、東京ドームなみの集客力を誇る円形闘技場。「コロシアム」の語源になった。
26年前にも内部を見た。今回も入ってみたが、フォロ・ロマーノ同様に感じが違う。


壁がちゃんと揃えられ、高くなっている気がした。よく見ると、上部は少し新しいように見える。壁面もきれいになっているようだ。帰国して比べてみたが、やはり「成長」している。

1991年当時のコロッセオ内部

民衆に与えられた「サーカス」の舞台

その時のガイドによると、皇帝の合い言葉は「民衆にパンとサーカスを」で、食べ物と娯楽を民衆に与えることで権力を維持していた。「サーカス」として奴隷、捕虜、罪人らの剣闘士同士で決闘させたり、ライオンなど猛獣との戦いが行われていた。


闘技場は床?がはぎとられて地下の部屋がむき出しになっている。ここに剣闘士や猛獣らが控えていて、エレベーターで地上に上がったという。演出効果もある施設だった。


少なくとも523年まではこうした「サーカス」が続いていたとされる。その後、キリスト教徒殉教の地として残されたが、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂などの建築資材として多くの大理石が持ち去られたという。


ファサードと呼ばれる一番外側の壁も半周分ぐらいがなくなっている。後世の人には格好の「採石場」だったのだろう。


すぐ横に道路があり、車が通り抜けていく。以前はもっと近いところを走っていたようにも思えたが、こうした古代遺跡と現代の街が融合しているところがローマなのだろう。

彫刻を拝借してきた凱旋門

コロッセオのすぐ近くに「コンスタンティヌスの凱旋門」がある。315年に西ローマの副帝コンスタンティヌスが正帝を名乗っていたマクセンティウスを破って西ローマ皇帝になったことを記念してつくられたという。


高さ21㍍で壁面にびっしり彫刻が施してある。ただ、コンスタンティヌス帝とは関係ないものが多いのだという。これは古い建造物に使われていた彫刻を転用したからと言われている。


1960年ローマ五輪ではマラソンゴールになったので、裸足のアベベがここを駆け抜けた。世界遺産の凱旋門らしい使い方だ。地下鉄コロッセオ駅からテルミニ駅に向かい、荷物を引っ張り出した。

今も現役で使われる浴場の用途は?

古代ローマ帝国時代の世界遺産で「カラカラ浴場」も知られている。1991年に行った際に一部を見た。バスツアーにはなかったので、夏の強烈な日差しの中、路線バスに乗った。
教えられたバス停で降りたが、表示が見当たらず、茶色っぽい、古そうな、崩れかけた、壁みたいなものが見え「あれか?」と思いつつ近寄ったらカラカラ浴場だったと記憶している。

1991年当時のカラカラ浴場

中に入ると、やたら柵が多くて近寄れない。遺跡の前にはいすがびっしりと置かれている。夜になるとここでオペラを上演しており、観客のための仕切りだった。
何百人も一度に入った風呂場と思わせるものは見あたらなかったのだが…。
外からしか見られなかったが、床や壁にモザイクが残り、図書館を併設するなど市民を楽しませる娯楽施設だったようだ。これも「サーカス」の1つだろうか。
西暦217年につくったカラカラ帝は万単位で罪もない人を殺したという悪名高い皇帝。それでも、1800年使われる建物を造ったのは功績なのだろうか。


ここもローマ五輪では体操会場に使われた。当時と競技内容や観客数が違うので単純に比較はできないが、2020年東京五輪でもこうした日本の文化遺産を取り入れた会場づくりを工夫したかった気がする。

1980年登録

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