セビージャの大聖堂、アルカサル、インディアス図書館(スペイン)

グラナダ~ミハス~セビージャ

世界第3位の大聖堂、そしてコロンブスの墓がある。アンダルシア州の州都セビージャ(Sevilla、セビーリャ)に2015年、行ってみた。

日本では「セビリア」と表記されることが多い。アルハンブラ宮殿のあるグラナダから、白い家並みの街ミハスを経由して、夜セビージャへ。1泊して翌朝早く、日本でも話題になった1992年の「セビリア万博」の会場「スペイン広場」に。1492年のコロンブスの新大陸到達500周年を記念して開催された。コロンブスはセビージャとの関係が深いらしい。ようやく日が昇ってきた。

スペイン広場の朝

クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)は英語表記で、イタリア・ジェノヴァ出身なのでイタリア語表記のクリストーフォロ・コロンボ(Cristoforo Colombo)が正しい。

スペインにとっては英雄で、日本でも世界史で必ず習う人物だ。しかし近年では、新大陸で虐殺と略奪を指揮したとされ、出資者の国王らと出発前に何かを見つけた場合の分け前を決めているなど黄金目当ての単なる侵略者、略奪者だった、という見方が正しいようだ。万博と同じ1992年にキューバに行った時、ハバナではコロンブスのコの字もなかった。

ヒラルダの塔のてっぺんにあるもの

「セビージャ大聖堂(Catedral de Sevilla)」に向かう。ツアーバスを降りて、公園の中を散策し、旧市街のような街中に入った。後で地図を見たら、公園は「アルカサル公園(Jardines del Alcazar)」という。世界遺産の宮殿「アルカサル(Reales Alcazares)」の庭園にあたる。

路地のようなところに入っていく。朝8時を過ぎたぐらいなので、店なども開いていない。左手に高い壁が続く。「中がアルカサルです」とガイド。この日はポルトガルへの長距離移動があったので早朝の見学になり、外観のみしか見られないのだが、それも壁に阻まれた。

右前方に大きな、高い建物が見える。セビージャ大聖堂だ。

広場に出る。大聖堂がそびえたつ。大聖堂の入場口にあたる「サン・クリストバルの門(扉)」も閉まっていた。扉の前に女性像がある。「ヒラルダ(風見、Giralda)」という。ヒラルダの塔と関係がある?「ヒラルダの塔のてっぺんにこれと同じものがあって、風向きによって動きます」。

サン・クリストバル門

像は高さ4メートル、重さは1トンを軽く超すそうだ。「持っているのは盾とシュロの葉です。聖書にキリストがエルサレムに入る時に歩く先でシュロを振っていたとあります」というところからきている。

サン・クリストバル門前のヒラルダ像

高さは諸説あるが、約100メートルのヒラルダの塔の上で、盾とシュロの葉で風を受けて、くるくる回っているそうだ。

鳥の形だと風見鶏になる。南~南西方向から見たが、残念ながら斜め横か背中を向けていた。たぶん北東寄りの風が吹いていたということなのだろう。

さまざまな建築様式で世界3位の巨大さ

セビージャ大聖堂は、モスクがあった跡地に建てられており、1402年に着工し、1519年に完成した。120年近くの間に、ゴシック、後期ゴシック、ルネサンスと世の中のはやりの建築様式が変わり、建物にもその影響を受けてさまざまな様式でできているという。

聖堂というと、平面図を見ると細長い形が多いが、この大聖堂は正方形に近い。イスラム様式のモスクにあった中庭を「オレンジの中庭」として残して取り込んでいるためらしい。

大きさはヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ、世界で3番目の大きさを誇る。

モスク時代の名残で、ヒラルダの塔も元々は12世紀に造られたモスクのミナレット。鐘楼を継ぎ足して、その最上部にヒラルダが設置された。セビージャ大地震(1504年)、リスボン沖大地震(1755年)でも倒れなかった。

中に入れなかったアルカサルもイスラム時代の城を改築したものだそう。グラナダのアルハンブラ宮殿を手本にイスラムの職人を呼んで造らせたという。

スペインではイスラム勢力の支配から「レコンキスタ(国土回復運動)」でイスラム勢力を追い払ったのが13世紀。イスラムの芸術・文化をすべて壊して放逐するのではなく、取り込むところは取り込むという姿勢があったようだ。

大聖堂の向かいには「インディアス図書館(Archivo de Indias)」がある。建物はルネサンス様式で1572年建てられ、商品取引所として利用していた。

1784年にカルロス3世が新大陸(南北アメリカ大陸)に関する公文書をこの建物に集めることにして、図書館になった。大航海時代の文書など資料がすべてここにあるという。

コロンブスの墓、発見

30分ほど自由に散策できる時間があったので、大聖堂を近くで見ようと、路面電車が走る通りに面した大聖堂の西側にいった。壁面はきれいな彫刻を施されている。

聖人の彫刻なのだろうか、たくさんに人物像が彫り込まれていた。

ふと見ると、人が大聖堂の中に入っていく。どこの扉かは分からないが、1つ開いているようだ。試しに行ってみた。人がいたので、入れるか聞いたら、どうぞという感じで手を振ってくれたので、中に入った。

明るいところもあるが、全体的に薄暗い。まだ正規の入場時間のだいぶ前なのだろうか。ミサか何かの行事の用意をしているような感じだった。

時間的にも、立場的にも、長居は出来ないと思い、ざっと見て回った。ぜひと思っていたのが「コロンブスの墓(Sepulcro de Colon)」。入って右に行くとすぐにあった。後で調べたら「トランセプトの袖廊」という場所にある。

棺を4人の王(レオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴン各王国)が支えている像が目印。1894年にキューバから贈られたコロンブスの遺灰が納められているそうだ。

内陣まで行った。格子の扉が一部開いていて、奥の壁面には黄金でできているのだろうか、金色の祭壇が少し見えた。

貴重な品々が展示されている「聖具室」には行く時間がなかったが、そもそも開いていなかっただろう。なにしろ広いので、駆け足で前後左右上下に顔と目を動かしながら回った。

多くの礼拝の施設があるのだろうか、祭壇と思われるものがいくつもあった。

ステンドグラスも見られた。暗くて、写真として見られるのは2枚しかなかったが…。

中にいたのは20分弱だろうか、時計を見て集合時間まであと2分だったので、急いで出た。入口の人に「グラシアス」というと、笑い返された。

街の繁栄を支えたのは1本の川

大聖堂から少し歩くと、街を流れるグアダルキビール(Guadalquivir)川に出る。アラビア語で「大いなる川」の意味だという。「黄金の塔(Torre del Oro)」が建っている。

セビージャはレコンキスタ後、13世紀にはこの地方のカスティーリャ王国の主要都市として栄えた。繁栄を支えたのが大西洋にそそぐ川を利用した海運だったという。

川の通行を管理するために、十二角形の塔が両岸に造られ、左岸には金を使った黄金の塔、右岸には銀を使った塔を立て、鎖を渡して船の航行を止めていたという。

朝早くの駆け足だったので、まだ商店、飲食店などもほとんど開いていなかったのが残念。歴史もあるので、古い店も多そうだ。ゆっくり見て歩きたい街だった。

1987年登録

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