カトマンドゥ盆地(ネパール)
川に遺灰を流すお葬式
カトマンドゥ盆地では、3つの旧王国の旧王宮広場(ダルバール広場)など7つの建物群が世界遺産に登録されている。
カトマンドゥ市内から離れている「チャング・ナラヤン」という寺院にはいかなかったが、市街地に近い他の3カ所にも行ってみた。
「パシュパティナート」(Pashupatinath)は、ネパール最大のシヴァ寺院で17世紀末に建てられた。ヒンドゥー教徒しか中に入れない。東門から中をのぞくと、一番よく見えるのは大きな象の像のお尻だった。
「上から見ましょう」とガイドに案内されて、寺院の横の高台に上がった。寺院とは鉄格子で仕切られ、鉄条網もある厳重さ。すき間からのぞくと、寺院の壁は金色、銀色の板で装飾が施されている。
ガンジス川の支流バグマティ川にかかる橋を渡ろうとしたら、ガイドが「お葬式が始まっています」という。川岸から下を見ると「ガート」という火葬場に、木を組んだ壇をつくり、その上に年配の男性があお向けに寝かされていた。
息子らしい男性が2人、壇の周りを回りながらお祈りをしている。「その後で壇に火をつけて火葬します」。遺灰は川に流されるという。
対岸に渡ってパシュパティナート寺院の方を見ると、そこのガートにも布でくるまれた遺体が置かれ、一緒に焼く持ち物などを川の水で清め、準備をしていた。
寺院に近い上流が身分の高い人用で、王族もかつてはこちらで火葬されたという。遺体を見る機会は日本ではそう多くないだけに、日常としてある風景にちょっと圧倒された。
仏陀の目で見つめられる
タクシーで次は「ボダナート」(Boudhanath)へ。高さ36㍍と南アジア最大の仏塔、ストゥーパがある。真っ白いドームにある塔には「仏陀の智恵の目」が描かれており、見たことがある人がいるかもしれない。
門をくぐると、あちこちから「♪オム・マニ・ペメ・フム(Om Mani Pedme Hum)」とだけ歌い続ける音楽が聴こえてくる。耳についてしまった。
ガイドによると、チベット仏教のマントラ(真言)で、唱えることで悟りを開けるといい「一番ヒットしているCDです」。買ってきて日本で時折かけているが、悟りまでは遠そうだ。
ストゥーパを囲む壁に設置されたチベット仏教のマニ車にはそのマントラが刻まれている。ストゥーパの周りを歩く場合、仏陀に右肩を向けるため、時計回り(右回り)に回らなければならないのでご注意を。
マニ車を回し「オム・マニ・ペメ・フム」と周りから聞こえてくる音楽に合わせて唱えながら入り口へ。そこから基壇を上がってドームのすぐ下にでる。ちょうど「お色直し」をしているところで、白い塗料をバケツでかけていた。
下をのぞくと、畳1枚ぐらいの布を敷いて、五体投地という体を地面に投げ出す参拝をしている人も。そんな人たちを、ドームにある帽子のような塔の付け根の四方に描かれた「仏陀の智恵の目」が見つめている。
ボダナートとは市街地を挟んでカトマンドゥの西側に、同じく仏塔(ストゥーパ)で有名な「スワヤンブナート」(Swayambhunath)がある。こちらもチベット仏教寺院。ボダナートと違って、仏像や小さな寺院、祠、マニ車などが仏塔を中心にたくさん建てられている。
日本でいう鬼子母神を祭ったハリティ寺院は人気が高いのか、行列ができていた。人がたくさんいる建物に入ったら、たくさんの僧侶がお経をあげ(たぶん)それをたくさんの人が手を合わせて聞いていた。
太古の昔から燃え続ける火
伝説によると、太古の昔、カトマンドゥ盆地が湖だったころ、蓮の花から大日如来が出現し、祝福のため文殊菩薩が剣で山の一部を崩して水を外に流して盆地が誕生、蓮の花があったところにこの丘をつくって火を点し、寺院が建てられたという。
最近の研究で元々湖だったことが判明したという。伝説は侮れない。いまも寺院内では火を点しているというから、何年続いているのだろうか。仏塔にはボダナートと同じく「仏陀の智恵の目」が描かれている。
2015年の大地震では、8000人以上が亡くなった。旧市街はレンガや木で造られた建物が多かったので、被害が拡大したのだろうか。世界遺産の建物も多くが一部損壊または全壊し、カトマンドゥのダルバール広場のカスマンダプ寺院や三重塔のシヴァ寺院も倒壊したというニュースを見た。今はかなり修復が進んでいるというが、まだまだ途上だろう。
1934年に1万人を超える犠牲を出した大地震など地震の少なくない国で、これまで数百年耐えてきた建物に被害があったことで、災害の大きさが推し量れる。
1979年登録
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