ファテープル・シークリー(インド)

アーグラー~ファテープル・シークリー

オートリクシャーが冷たい風を切る。太陽が昇り始めたばかりの丘の上に、赤い建物が見えてくる。わずか14年しか使われなかったムガール帝国の都が、丘の上に残っている。2016年、行ってみた。
アーグラーのホテルを早朝、まだ暗いうちに出発し、車で40分ほど。「ファテープル・シークリー(Fatehpur Sikri)」がある丘の麓の駐車場に着く。オートリクシャーに乗り換え、丘を登ってチケット売り場の前まで10分もかからなかった。
途中で「モスク地区」に入る分かれ道があった。「ブランド・ダルワザ(門)」や「ジャミ・マスジド」など見どころがあるのだが、少し離れているので「宮殿地区」だけに行った。

赤い砂岩が朝日で真っ赤に染まる

入口をはいってすぐに赤い砂岩でできた「ジョダ・バイ宮殿(Jodh Bais Palace)」。丘の下からも見えていた建物だろうか。上ってきた朝日を受けて、赤く染まっている。

「この建物はヒンドゥーの様式を使っています」とガイド。ムガール帝国はイスラムだが、この都を建てた第3代皇帝アクバルの異教徒を取り入れた政治姿勢に関係するのかもしれない。入口や窓の装飾が精緻だ。


乳房のような形のものがたくさんあるが「ネックレスの形といわれている」という。住んでいたのはアクバル帝と妻のジョダ・バイら3人の妻。ヒンドゥー、イスラム、キリスト教徒だったという。


門に刻まれた星はイスラム、星の中にあるのがヒンドゥーを表すハスなのだという。イスラムとヒンドゥーをあわせた様式をアクバル様式と呼ぶらしい。門をくぐって中庭に入った。


四角い中庭は入ってきた門を含めて4辺の真ん中に建物がある。入って正面が宮殿、左が春の宮殿、右が夏の宮殿という。

夏の宮殿

目に付くのがぽつんと置かれた中庭の真ん中の木。「ヒンドゥーのお祈りの木。仏教の菩提樹です」という。夏の宮殿は窓がなく「天井には水が流れていた」と涼しくする工夫がしてある。正面の宮殿内は柱などに彫刻が残る。

ジョダ・バイ宮殿内

宮殿を出てすぐにあるのが「キッチン」の建物。ここでやはりカレーを作っていたのだろうか。キッチンだけあって今も「飲み水」の看板があるが、我々は飲まない方がいい。

キッチン

宮殿を回り込んで裏に回ると小さいながらも立派な建物。「ビルバルの館」で、大臣らが住んでいたという。

ビルバルの館

奥に「馬やラクダをつないでいた」という大きな厩舎がある。「インペリアル・ステイブル」という。その向こうに高い建物が見えるが、行かなかったブランド門らしい。近そうに見えたが大きいからだろうか。

インペリアル・ステイブル

占いで造られた避暑の宮殿

元に戻りながら、小さな宮殿をみる。「マリヤムの館」という。こちらも外壁の彫刻が細かい。

マリヤムの館

中に入ってみると、壁画のようなものも残っている。ヒンドゥーの神クリシュナなどが描かれているという。


世界遺産の観光地だからだろうが、域内はきれいに清掃されている。建物1つ1つがくっきりとしていて、どこか閑散としている。ここが宮殿だったのだろうかとも思えてくる。


インドをほぼ手中にしたアクバル帝が、アーグラー城建設途中からここに造り始めた。なぜ2つの城が必要だったのか。
一番の理由は「占い」だったといわれる。男児に恵まれなかったアクバル帝は、アーグラー郊外の村シークリーの聖人シェレク・サレーム・チスティの予言を受けに来て「男児が授かる」といわれ、その通り翌年に男児、第4代皇帝ジャハンギルが生まれた。
敬意を表して、シークリーにファテープル(勝利の都)を造った。ちょうど戦いに勝った後だったからといわれる。「アーグラーの夏の暑さに耐え切れなかった」というガイドの説が当たっている気がする。

宮殿内を流れる水路

城内では建物が密集せず、丘の上なので風通しがよさそう。「水不足もあって1574年から14年間しか使われなかったから、きれいなまま残った」(ガイド)という。なんとも贅沢な「宮殿」だ。


ただ、略奪などは世の常だし、こんな大きな空き家なら住みたくもなるだろう。後になって、かなりの建物は壊されて石を持ち出したのが分かるのだが、多くの主要な建物が残っているのは不思議。大きな建物や装飾が美しい建物は壊しにくかったのかもしれない。

後宮5000人の権力者の館

「マリヤムの館」から進むと「宮殿地区」の主要部に出る。まず目を引くのが5層の石の楼閣「パンチ・マハル(Panch Mahal)」だ。上に行くにしたがって柱の数が減り、一番上は4本柱の建物になっている。

パンチ・マハル

用途はよく分かっていないそうだが、造りからいっても風通しがよさそうで「皇帝が涼んだり、景色を見たりしたといわれています」とガイド。そのすぐ下に「女学校」がある。
この宮殿を造ったアクバル帝は3人妻のほか300人の妃がいて「後宮5000人」というほどの女性を抱えていたといわれる。涼みながら、学校を見て気に入った女性を探していたのだろうか。


回廊を通っていくと、真ん中に池がある広場を囲むように建物が立っている。反時計回りに行くと「カース・マハルとクワーブガー」という建物にでる。

クワーブガー

ここは皇帝の居住する建物で、親しい人たちと謁見する場所でもあった。扉がなく、ここも柱が外から見える。プライベートが守られたのかどうかは分からないが、低い柱で何層にもなっている。


ここまで見てきても「夏を涼しく」の発想で宮殿を造ったような気がしてならない。どこも閉め切らないように造られている。かつては「布や絨毯、木製の家具があった」という。
ムガールはモンゴルのことなので、遊牧民の生活のよさを取り入れたのだろうか。建物の横に「皇帝の風呂」があった。露天で、半カプセルのようなものは「上から水を落とすシャワーだった」という。

皇帝の風呂

人間チェスの広場

池を回りこみながら反対側に向かう。池を造ったのも涼をとるためなのだろう。


水不足で都を放棄したといわれているが、貯水池跡や井戸、水路に風呂などが宮殿内をあるので、そんなに不足していたとは思えないのだが、やはり高台だったのが災いしたのだろうか。


「ここはメーキャップルームでした」という、宮殿の中でも彫刻がさらに細かい小さな建物が池のほとりにある。後宮の女性が身支度をした建物なのだろう。

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