マカオ歴史市街地区(中国)

香港~高速船~マカオ

カジノの街に世界遺産として30カ所の建物や広場が登録されるとは思わなかった。登録前の1996年、行ってみた。

香港は1997年に英国から、マカオ(Macau、澳門)は1999年にポルトガルから、中国に返還されたのだが、行ったのはその直前。政治体制がガラッと変わるので、返還前に両方を見ておこうと思った。

中国政府は共産主義政策を50年実施しないと約束したが、2020年6月に「国家安全法」という、名前と内容がかけ離れている法律を成立させ、民主化を求める香港市民を弾圧している。香港の制度が中国の国家体制と整合性が取れるのかどうかは別として、国際的な公約を反故したのは確かだ。

ファサードだけが残った教会

マカオへは香港から高速船で渡った。降りてみると、香港の街並みは中国色が強い感じがするが、マカオは香港とは雰囲気が違った。

その当時はまだポルトガルに行ったことがなかったので「ポルトガル色」が強いとは言えなかったのだが、着いて半日観光があったのでバスで回ってきた街並みは、中国とは思えなかった。

当時から観光名所だった「聖ポール(パウロ)天主堂跡(Ruínas da Antiga Catedral de São Paulo)」へ。バスを降りて路地を歩いていくと、突然強烈なスコールが襲ってきた。

小高いところに上部が三角形の壁が見える。階段を上がると、「跡」らしく建物の一部しか残っていない。傘をさすのに精いっぱいで全体を写せなかったので、もらったパンフレットで紹介する。

セント・ポール天主堂跡(パンフレットから)

「ファサード」という、建物の正面部分だけが立っていた。1602年に完成し、日本ではザビエルでよく知られているキリスト教のイエズス会の教会だったという。ザビエルが日本に来たのは1549年なので、この天主堂には立ち寄ってはいない。

規模は当時アジア最大。1835年の台風で正面部分だけ残して消失した。とはいえ、このファサードは彫刻などもりっぱで、建物全部が残っていたらさぞや、と思わせる。

「媽閣廟(マー・ゴク・ミウ)」。マカオ最古の仏教寺院で、1488年創建という。マカオの語源になったといわれる。赤主体の色合いは、やはりここは中国という印象だ。

庭? に船を描いた大きな石があり、どうやら海の安全を祈願するお寺らしい。本殿? の天井からは当時初めて見た巨大な渦巻き線香がぶら下がっていた。

この日はそのほかに、世界遺産に登録されなかったマカオ最大の寺院「観音堂」と、「ペーニャ教会」という1622年創建のカトリック教会も見学に入っていた。

ポルトガル領らしい明るい街並み

翌日、日差しの強い中を隣の島タイパ島のホテルから、路線バスで海の上をまっすぐに伸びるマカオ・タイパ大橋をわたり、外を見ながら中心街だろうと見当をつけて新馬路(アルメイダ・リベイロ通り)の適当な所で降りた。

停留所名は覚えていないが、そこが「セナド広場(Largo do Senado)」の前だった。白地に黒い波打つような模様の入った不思議な地面に目を引かれる。真ん中には噴水もあり、これがポルトガルの植民地らしい景色なのだろう。

セナド広場に面した右手に真っ白な建物がまぶしかった。そのときはよくわからなかったが「仁慈堂」という1569年に設立した慈善団体の建物。強い日差しに映える。この広場は、のちに世界遺産に登録された建物で囲まれている。

広場を見渡していたら、観光客が入っていく建物が向かい側にあったので、ついていった。「民政総署」という建物。アーチ状の柱のある階段廊下を上がっていく。白壁には、青い絵がかかれたタイルが張ってあった。

約20年後にポルトガルに行った際に、青いタイルは「アズレージョ」とよばれるポルトガルの伝統的なタイルだと知った。

前日にガイドに聞いていた「盧廉若花園」という庭園を目指して、街並みを見ながらぶらぶらと歩いた。

22の建物と8つの広場がマカオ歴史市街として登録されているので、たぶん、街を歩き回っているときにいくつかの建物を見て、広場を通ったかもしれないが、世界遺産と意識していなかったので写真が残っていないので残念。そう大きな街ではないので大半は歩いて見て回れると思う。

その夜は、マカオに来た最大の目的ともいえるカジノにも当然足を伸ばした。ラスベガス同様、カジノに貯金することになってしまったので、引き出すためにも次の機会があればいいのだが。

2005年登録

 

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