アントニ・ガウディの作品群(スペイン) サグラダファミリア
バルセロナ~サグラダファミリア外観~生誕の門~聖堂~地下聖堂~受難の門
バルセロナ(Barcelona)は1992年の五輪を取材した思い出の場所だ。当時はほとんどの時間を競技場、プレスセンター、ホテルの3つを行ったり来たりしただけだった。もう1度、今度はしっかり街を見ようと思い、2015年、行ってみた。
空港で、ホームステイを受け入れてくれたホセ・マリア、エレナのレシーナ夫妻に会い、その足で「予約したからサグラダファミリア(聖家族教会、Sagrada Família)に行くよ」と地下鉄に乗り込んだ。
22年半ぶりに降り立った街は、記憶に残っていない部分が多い。地下鉄の歴史は古いが、確かオリンピック用に1路線が開業したという記憶がある。いまは「サグラダファミリア」という地下鉄駅があるが、当時はなかったと思う。
2006年にはサグラダファミリアの真下に高速鉄道建設の話が持ち上がり、無許可の違法建築だったことも明らかになって、地盤の問題など物議を醸したこともあった。1882年に建築を始めたのだから、今の法にあてはめてもしようがないと思うのだが。
地下鉄駅から上がると、目の前にサグラダファミリアがそびえている。アントニ・ガウディ(Antoni Gaudí )が作った「生誕の門」のファサードだ。
1992年に横の通りを車で通過したことがあり、黒々とした生誕の門だけ、しかもこんなに彫刻はなかった印象がある。当時は世界遺産に登録されておらず、入場もせず、写真も撮っていないのがちょっと悔やまれる。その時からの変わりようにはびっくりした。
ちゃんと、建物になっている。
予約時間は15時30分で、30分前に着いた。平日にも関わらず、生誕の門前のチケット売り場は列ができている。ネット予約をしていると、隣の入口に直接行って入れるのだが、お国柄からいえば意外に厳しく「もう少し待って」と言われた。
ホセ・マリアさんに「ちょっと周りを歩こう」と連れられ、鉄柵に囲われた周囲を、生誕の門を起点に反時計回りにグルッと1周した。
急ピッチで進む建築工事
サグラダファミリアといえば、生誕の門(92年はこれしか造っていなかった)だが、右側に回ると「後陣」を造っている。こちらが教会内の祭壇の後ろに広がる半円形の建物になるという。
生誕の門の反対側に「受難の門」が真新しい色でそびえている。彫刻も大きいところはだいぶ取り付けられているようだ。
ガウディが作った生誕の門に比べて直線的な印象。まだ隙間だらけで、細かい装飾がされると変わってくるのだろうか。
さらに回り込むと教会の正面となる「栄光の門」を造る場所になるのだが、まだ手を付けていない。「あの建物を壊して入口を作るんだよ」と、通りの向かいにあるアパートを指さした。その折には立ち退くことを前提に使っているという。
12使徒を表す丸みを帯びた塔は生誕、受難の各門に4本ずつ完成しており、高さは98~120㍍。全部で18本の塔が建てられる予定で、12使徒の残り4本、中央に170㍍のキリストを示すドームを持つ塔、マリアの塔のほか福音書記者の塔4本が建設中だ。
サグラダファミリアは、1882年に着工。翌年、当時無名だった31歳のガウディが2代目建設責任者になり、今も残る独特の形になった。
ガウディが生涯をかけた未完成作品
ガウディは1852年生まれ、バルセロナのあるカタルーニャ地方の出身。本人の詳細は他に譲るとして、19世紀に建築様式モデルニスモ(アールヌーヴォー)の建築家。奇抜な発想のデザインが特徴だ。
1926年に路面電車に轢かれて亡くなるまで、生涯をかけて取り組んだのが、このサグラダファミリアだった。
設計図が残っているわけではなく、弟子たちが師から受け継いだことやわずかな資料をもとに、ガウディの意図を推測する形で建築を続けてきた。
すべて手作りを基本にし、資金不足もあって、完成まで300年かかると言われていたが、最近は入場料収入が急激に増えたことなどもあり、クレーンはじめ重機を使うことで、2026年完成と発表されている。
確かに、行った当時の入場料は塔に上るのも含めて24ユーロと高額。年間300万人が訪れるとして単純計算で7200万ユーロ、約100億円になる。
300年がかりの予定が大幅に工期短縮
外観だけでよければ周りを1周すれば十分見られるが、やはり中に入ることをお勧めする。ただし、2005年に世界遺産に追加登録されたのは、ガウディが作った4本の鐘楼を含む生誕の門と地下聖堂だけだが、ガウディの思いを引き継いだ努力が見られる。
入場時間が来た。中に入って生誕の門を見上げる。とにかく見事な装飾。「筆舌に尽くしがたい」ので、写真で見てもらうしかない。できれば実際に近くで見てほしい。
「あれはソトオが作ったものだよ」と、1つの彫刻を教えてくれた。現在、彫刻主任を務める外尾悦郎氏が生誕の門を完成させたが、周囲のガウディ時代に製作されたものと違和感なく収まっている。
キリストにまつわる彫刻でびっしり
生誕の門には、キリストの誕生から初めて説教を行うまでを無数の彫刻で表現している。門が3つあり、中央が「愛徳の門」でキリストの誕生を表す彫刻で飾られている。
向かって左が「望徳の門」でキリストの幼児期を表現し、父ヨセフに捧げられた彫刻が多い。
右が「信徳の門」で説教の場面が描かれ、マリアに捧げられた彫刻が彩る。キリスト教徒ならすぐにどんな場面か分かるのだろうが、どこに何があるのか、探し出すのは難しそうだ。
人物像の他にも、動植物がびっしりと描かれ、ただただ彫刻のすばらしさに口を開けて見上げるしかない。
後で気づいたのだが、入口横にある売店に日本語のガイドブックがあるので、先に購入しておけば、かなり判別できるのではと思う。中央の門から、聖堂に入った。
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