セルギエフポサードの至聖三者聖セルギイ大修道院の建築的遺跡群(ロシア)
モスクワ空港~セルギエフポサード
ロシア・モスクワ近郊に中世の街が輪のように連なる「黄金の輪」と呼ばれる地域がある。その一角に、古くから信仰を集めるロシア正教の大修道院がある。2013年、行ってみた。
サンクトペテルブルクから飛行機でモスクワ空港に着き、バスで2時間ほど、セスギエフポサード(Sergiyev Posad、セフギエフパッサード)に着いた。
広々とした修道院前広場(駐車場)と大修道院を取り囲む白壁の向こうに、ロシア正教の聖堂らしい「ねぎ坊主」のドーム屋根が見える。
死後30年間そのままの姿をしていた聖人
案内所のような小屋に立ち寄って、日本語のガイドブックがあったので買った。正門から入ると、赤い壁、金色の「ねぎ坊主」の建物。「イオアン(ヨハネ)聖堂」がある。
聖堂の下がちょっとしたトンネル通路になっている。壁、天井には宗教画が描かれていた。
抜けると、目の前に真っ白な聖堂が見える。そこに向かって進んでいく。「トロイツキー聖堂(至聖三者聖堂)」という。
1423年に聖セルギイが埋葬された木造教会のあった場所に建てられた。中世ロシア建築初期の傑作の1つだという。
トロイツキー聖堂の前に立つ。聖セルギイは生前、自ら樫の木で棺を作っていた。死後、埋葬されて30年後の1422年に墓を開けたところ、遺体はもとより、衣服も靴も朽ちないままだったという。現在の聖堂内にその棺が安置されている。
大修道院全体の名前になっている聖セルギイの話を簡単に。ガイドブックによると、1314年に貴族の家に生まれ、20代で家を弟に譲ってこの地に小さな木造教会と修道小屋を建て、至聖三者(父と子と聖霊)に生涯をささげた。極貧生活で、熊とパンを分け合ったともいう。
そのころ、ロシアは「タタールのくびき」というモンゴルの支配を受けていたが、聖セルギイの祝福を受けたドミトリー公率いるロシア軍がモンゴル軍を破り、ロシアが解放された。
ロシア正教の十字の切り方
偉大な聖人として尊敬を集め、死後も多くの修道士がここで暮らしている(修行している)。「黒い服を着ているのが修道士です」とガイド。
「ロシア正教で十字を切るときは、右手の親指、人差し指、中指をあわせて、額、胸の次は右肩、左肩の順。カトリックは左肩が先です」と教えてくれた。聖堂に入るとき、男性は脱帽、女性は何かをかぶらなければならないという。
トロイツキー聖堂から振り返ると、修道院の食堂でもあった「大食堂教会(トラペザ聖堂)」がある。17世紀の建物で、中に入ってすぐの左手にあるのがハリストス(キリスト)の像。処刑されたゴルゴダの丘を表している。
室内は広く、奥の祭壇は金色の装飾とイコンでびっしりと飾られて見事だ。周囲の壁や柱にも装飾がされており、特にねじれたようなデザインの柱は宮殿などでは見たことがあったが、教会では珍しいかもしれない。
食堂と教会の両方で使われていたといい「ワインがキリストの血に変わったとか、聖霊が降りてきたとか、ここでは奇跡がたくさんあったといいます」という。
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