イスタンブール歴史地区(トルコ)

イスタンブール~ブルーモスク~アヤソフィア~トプカプ宮殿~地下宮殿~グランドバザール

東西文明の十字路、シルクロードの終着点…イスタンブールはさまざまに形容されている。街を歩くと、さまざまな国からの旅行者も多いのだろうが、行きかう人の顔で西洋、東洋入り交じっているのが実感できる。2004年、行ってみた。
トルコに行くときは、まずはこの魅惑的な街に入るのがほとんどだ。「アヤソフィア」「ブルーモスク」「トプカプ宮殿」と、日本でいえば清水寺や金閣、法隆寺といったところの歴史的建造物が待っている。

名前の通りの青いモスク

ブルーモスクから入ってみた。イスタンブール市内では「○○ジャミイ」というモスクがたくさんある。ブルーモスクも正式名称は「スルタンアフメット・ジャミイ」で、17世紀にアフメット1世が建てた。

モスクの目印はミナレットという尖塔と丸いドームの屋根。ミナレットは、塔の上から信者に向けて礼拝時間を知らせるアザーンを流すところで、かつては生の声だったというが、いまではたいていはスピーカーから流れてくる。
高さや数が、そのモスクを建てた人の権力の強さを表すというが、ブルーモスクは世界で唯一6本。建築家が「アルトゥン(黄金)のミナレットを建てろ」という命令を「アルトゥ(6本)」と聞き間違えた、という話があるというが、さて。
ドームの高さが43メートルというので、ミナレットはその倍近くはありそうだ。

名の由来は、外からでは分からない。中に入ると、壁面がイズニックタイルという青系のタイルで飾られているのが、ブルーモスクの由来だという。暗いせいもあるかもしれないが、全体に白っぽく感じた。

ただ、近づいてタイルを見ると、青を基調とした繊細な模様が焼き付けられているので、うなずける。見上げると、直径27メートルの大ドームが印象的だ。

アヤソフィアは元キリスト教会

ブルーモスクに向かい合うようにして建っているのが、アヤソフィア。徒歩数分で行ける。
その道々、土産物売りが寄ってくる。あやしい日本語で話しかけてくるので、興味がある方は日本語で勝負してみては。タンクのようなものを背負ったジュース売りもいる。
アヤソフィアは、ブルーモスクと肉眼で比較しても一回りは大きい。ドームの高さは55メートルある。
「聖なる英知」を意味するギリシャ語でハギア・ソフィアがトルコ語でアヤ・ソフィアになったという。4世紀にビザンチン帝国のコンスタンチヌス2世が建てたキリスト教会だが、地震で崩壊して6世紀に再建後、15世紀にオスマン・トルコによってモスクに転用されたという。

キリスト教のモザイクが残される

メフメト2世は、アヤソフィア内部に描かれたキリスト教のモザイク画を破壊せずに、しっくいで塗りつぶした。ミナレットを建てたが建物はそのまま使った。
中に入って、大ドームを見上げる。見事なアーチは1500年も前のものとは思えない。通常、モスクの中にはイスラム教徒以外は入れないことが多いので本来のモスク内部の構造はよく知らないが、ここは基本的にはキリスト教の大聖堂の構造のままになっている。
壁には巨大な円盤が掲げられ、古いアラビア文字でムハンマドらの名前が書かれている。もちろん読めないが、「ここはモスク」と主張しているようだ。1階は礼拝のための場所のようで、華美な装飾もない。


2階に上がる。1950年ごろまでに、塗りつぶしてあった漆喰をはがし、博物館になったことで、かつて教会だったころのモザイク画が見られるようになった。
特に有名なのが「請願」。キリスト、聖母マリア、ヨハネが描かれている。半分以上が失われているが、顔はしっかりと残っている。


「キリストと女帝ゾエ夫妻」では、女帝ゾエは3度の結婚のたびに夫の顔を描きなおしたという。3番目の夫のコンスタンティヌス9世が年配に書かれているのに比べて、最初に描かれたまま残るゾエは若々しいままというアンバランス。


「聖母子と皇帝家族」も保存状態がいい。モザイク画は10~13世紀ごろに描かれたそうだが、鮮やかな色彩が残っているのはモスクになって漆喰で塗りつぶされて保護されていたからかもしれない。後世にとって何が幸いするか分からない。


小さな穴があいた柱があった。「親指を穴において、手を1回転できたら、願い事が叶います」とガイド。意外と簡単なので御利益があるかどうかは分からないが、試してみよう。

トプカプ宮殿の大ハレム

翌日は豪華な宮殿巡りになった。イスタンブールは東西文明の十字路と呼ばれ、東から、西から、人や物資が集まってきた。交通の要衝以上に、街自体にも大きな力と魅力があったからだろう。
その街を作ったのが、ビザンチン帝国、オスマントルコ帝国という巨大な国。オスマントルコの中でも征服王といわれ、コンスタンチノープル(イスタンブール)を征服したメフメト2世が築き、スルタンが住んでいたのが「トプカプ宮殿」。トルコ語で「大砲の門」という意味だという。
子供のころ読んだ、北杜夫氏の「怪盗ジバコ」の話の1つに、盗賊の主人公がトプカプ宮殿に忍び込む場面がある。羊肉の串焼きシシカバブ(シシケバブ)を食べるために店主と早口言葉の勝負をして1本せしめるのだが、分かります?
皇帝の門といわれる門から入る。大きな木が点在する庭を横切っていくと外廷の正門「挨拶の門」前へ。ここをくぐると宮殿内になる。


続いて「表敬の門」を通り、左手に行くとハレム、日本で言えば大奥。スルタンに仕える女性の居住区で、多いときは1000人もいたという。
うらやましいかどうかは、そんな経験がないので分からないが、江戸時代の大奥を題材にしたドラマや映画を見ると、たぶん権力争いなど面倒なことも多かっただろうと想像はつく。
正面が「幸福の門」。このあたりで式典などが行われていたという。謁見の館、図書館などあるが、最大の見どころは宝物館なので、まっすぐそこに向かった。

スプーン3本と交換した巨大ダイヤ

入場料は別料金。写真撮影はもちろん禁止。薄暗い館内では、歴代スルタンが世界中から集めたコレクションが、ライトアップされて浮かび上がっている。
「スプーン職人のダイヤモンド」は世界で7番目に大きい86カラット。原石を拾った漁師から、スプーン職人がスプーン3本と交換して譲ってもらったという話があるそうだ。
世界最大級のエメラルド3つがはめ込まれた「トプカプの短刀」。使うときには気を使うだろう。玉座に甲冑、花瓶や水差しなどにも金や宝石をこれでもかというぐらいちりばめている。
いったいいくらぐらいの価値があるのか、想像もつかない、まさに宝の山。手にすることはできないので、目に焼き付けてこよう。


宝物ももちろんだが、宮殿内は贅を尽くしており、壁や扉も彫刻やタイルなどで飾られているので、目が休まらない。


宝物館からボスポラス海峡を一望できるテラスに行く途中に「聖遺物の間」があり、預言者ムハンマドの遺物が展示されている。有名なのは「マント」だが、つえとかひげとか、いろいろなものが集められているので、興味のある方はゆっくりどうぞ。
テラスからボスポラス海峡、金角湾、マルマラ海をながめ、吹きぬける風も心地いい。

廃材を利用した地下の大宮殿

宮殿といえばイスタンブールの地面の下には「地下宮殿」がある。王が住んでいたというものではなく、大都市の水不足に備えた貯水施設で、多数の柱で天井を支えている、いわば巨大なプールだ。


柱には、他の場所から運んできたと思われる石材が使われ、メドゥーサが彫刻された石材をはめ込んであったり、涙のような彫刻が施されていたりと、人の目に触れるところではないせいか、統一性がない。
東ローマ帝国の時代、6世紀ごろに造られたというので、もう1500年ぐらい前のものだという。

グランドバザールでのお買い物

歴史地区は大きく4つあり、市内にあるいくつかの大きなモスク(○○ジャミイ)も世界遺産に登録されている。こうした巨大施設ばかりを見学していると、豪華さに圧倒される。
そんなときはグランド・バザールへ。露店のような小さな店約5000店がひしめくマーケット。金製品から簡単なお土産まで何でも取り揃えている。物にはほとんど定価がなさそうで、変な日本語がとびかっている。
トルコは2005年から新トルコリラになっているが、行った当時は旧トルコリラの時代。ものすごいインフレでお札の額が100万、1000万で0を数えるのが大変。100万トルコリラでも水ぐらいしか買えなかったと記憶している。
買い物は値切るのがルール。物色中にチャイなどを出されることもあるが、そのお礼と思って決めないことと、細い通路に入ると3回右に曲がっても元のところに出ないので迷子にならないようにしよう。

1985年登録

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