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明治日本の産業革命遺産群(日本) 橋野鉄鉱山・韮山反射炉(釜石・韮山エリア)

鋳口(左)と焚口

「銑鉄から取り出すのは1600度にしないといけないのですが、石炭や薪では温度が上がらなかった。オランダの本にコークスとあったので、石炭からコークスを造り、フイゴで空気を送った。煙突の高さも関係していて、15.7㍍が絶妙の高さだった」と、成功の理由を解説員は説明した。

橋野高炉→韮山反射炉で大砲量産

溶解炉を2つ備える連双式2基が直角に並び、4つの溶解炉で同時に鉄を作ることで、大型の大砲もつくれた。年表を見ると「18ポンドカノン(キャノン)砲」が主で、何基もつくられている。18ポンド(約8キロ)の砲弾を発射できる。一回りサイズが大きい24ポンドカノン砲の複製が置いてあった。

「銑鉄は橋野鉄鉱山から持ってきました。1つの炉で0.9㌧、4つで3.6㌧を1度につくれた。大砲1基に3.5㌧が必要だったといいます」と解説員。いったん火を入れたら、1基の大砲を造れる鉄を取り出せたようだ。

1864年に幕府直営としての役割を終え、江川家の私有となり、その後明治政府が保存に乗り出し、現在まで残った。

「土台には築城技術を使い、耐火煉瓦は英龍が探した地元の土で作り、杭を896本打ちこんで積み上げ、伊豆石で外側を巻いた。職人たちが知恵を絞ってつくったことで、産業革命の基礎技術がたくさん生まれた」と説明した。

橋野鉄鉱山、韮山反射炉が連動して国を守る大砲をつくり、その過程で培った技術で近代日本の黎明期を支えた。

パンを日本で初めて焼いた江川英龍

ちなみに江川英龍は、農民で構成した軍のために、1842年に日本で初めてパンを焼いたそうだ。「硬くて水にふやかして食べたそうです」(解説員)というから、乾パンのようなものだったのだろうか。

パンを焼いた日、4月12日は「パンの記念日」、毎月12日が「パンの日」になっている。

2015年登録

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