厳島神社(日本)
平安時代末期の1168年に平清盛の援助で佐伯景弘が現在のような海上神社として造営し、平家一門の信仰を得て発展した。1168年の造営された社殿は平安時代の貴族の建築様式の寝殿造り。一門が納めた「平家納経」もよく知られている。
その後は戦国時代に毛利氏、豊臣氏なども庇護。現在の社殿は、1571年に毛利元就が改築したものだという。
海から上がって社殿に戻る。東西回廊が交わる中央の社殿は、奥から海に向かって、本殿、拝殿、禊殿、高舞台、平舞台と縦に並んで海に向かって伸び、桟橋のような突端は青銅製の燈籠があり、火焼前(ひたさき)と呼ばれている。
厳島神社を訪れたことがある人は、ここから大鳥居、社殿に向かって写真を撮ったことがあるのでは。
国宝にもなっている東西の回廊が特徴的だ。幅4㍍、総延長は275㍍あるという。床板には隙間があり、海の水が上がってきたときに床は水浸しになるが、建物自体にかかる圧力を軽減する役目をもつ。
災害に見舞われやすいことを承知で海の上に建てただけに、被害を最小限にとどめ、壊れたらそこだけ直せばいいという潔い発想だ。
これまで台風などで何度も被害に遭っているが、多くは九州を通る台風の東側に当たる際に強い南からの風が吹き込むことで起こっているという。背後(南側)にある弥山が防御し、北西側の入り江に向いて建てることで被害を和らげているように思える。
社殿の建物を結んでいる回廊に釣灯篭がぶら下がっているのも、床に明かりを置かない水対策なのだろう。本殿前に広がる平舞台では、ちょうど古式ゆかしい装束で結婚式が行われていた。
「西回廊」を通って、最後に「能舞台」を見た。現在のものは1680年につくられたもので、海上にある能舞台としては国内唯一。1991年の台風で損壊したが、完全に修復されていた。
何事もなかったような松の緑が、ほぼ赤で塗り尽くされている社殿の中でひときわ目を引く。写真をあまり撮っていなかったが、何度見ても稀有な建物だと感じる。
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