古都京都の文化財(日本) 上賀茂神社、下鴨神社

京都駅~上賀茂神社前バス停~上賀茂神社~下鴨神社前バス停~下鴨神社

京都の洛北に、世界遺産に登録された2つの神社がある。賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、通称「上賀茂神社」と、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)、通称「下鴨神社」で、本殿などが国宝になっている。関西での仕事の帰りに2016年、行ってみた。
京都駅からバスでまず上賀茂神社に向かった。渋滞などもあって1時間以上かかった。上賀茂神社前のバス停を下りると、すぐに境内になる。

本殿を参拝できる特別参拝

参道を急ぐ。通常は見られない本殿の特別参拝が期間限定でできることをネットで知ったので、まずそれを目指した。時間が迫っていたので建物などは後回しにして、一ノ鳥居、二ノ鳥居、楼門を抜け、左手にあった特別参拝の受付へ直行。500円を納めて受付終了、本殿の前にある中門の横を通って中へ入った。

上賀茂神社中門

本殿近くの部屋で待っていると、パンフレットと「浄掛(きよかけ)」をいただいた。2015年に21年ごとの式年遷宮を終えたばかりで、特別参拝もその記念行事。首にかける紙製の浄掛には社殿の葺き替えた際の屋根の檜皮古材が含まれていると書いてあった。


中門より内側は神域で「内庭」というそう。部屋はそこに面していたと思う。神職から由来や神体、式年遷宮などの説明を受けた後、権殿、本殿を見せていただく。権殿は本殿の仮殿で本殿と並んで建っており、ともに1863年(文久3年)に造られた国宝だ。撮影は出来ない。
参拝後、高倉殿の御神宝特別展を見せてもらった。重要文化財の「賀茂別雷神社文書」の中にある織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの書状などが展示されていた。
詳しくは他に譲るが、説明や同神社HPによると、祭神は賀茂別雷大神で、神代に降臨し、天武天皇の678年(白鳳6年)に今の御殿の基が造られた。
神話によると、このあたりに住んでいた賀茂一族の玉依比売命(たまよりひめのみこと)が加茂川(鴨川)で禊をしていると丹塗矢が流れてきて、それを祀って授かった子が賀茂別雷大神だという。賀茂一族が氏神として祀った。
平安時代にはこの神社が都の鎮守を担ったことで、天皇はじめ皇族とも深い結びつきができた。賀茂祭という祭りは勅祭となって「葵祭」として今に続いている。

神の山を表す砂の山

ちょっと厳粛な気分になって境内へ。再び「楼門」をくぐる。朱塗りの2階建て、立派な門で重要文化財。その前にある橋が渡れなかったが「玉橋」という。正月には渡れるそうだ。

上賀茂神社楼門と玉橋

玉橋の横に、派手な神社がある。「片山御子神社」で「片岡社」ともいう。縁結びにお利益があるとかで、平安時代には紫式部も詣でていたそうだ。


来た道を戻りながら、建物を見ていく。「舞殿」が小川の上に立っている。「橋殿」とも呼ばれるのがわかる。その横にあるのが「土屋」で、ともに重要文化財だ。

小川の上に建つ舞殿(左)と土屋

目を引くのが、建物の前に砂を山のように盛ってあるところ。砂は「立砂」といって神山を象ったもので頂上に松葉が立てられ、陰陽の一対(2つの山)になっている。
建物は「細殿」という。立砂と直接関係したものではないようだが、一緒に見る方が風情があっていいようだ。


二ノ鳥居の近くには「楽屋」がある。ちなみに、二ノ鳥居の内側が境内というらしい。


二ノ鳥居をくぐり、出口に向かう。「外幣殿」という建物がある。普通幣殿は本殿と拝殿の間にある建物のことだという。境内の外の幣殿ということだろうが、役割はわからなかった。一ノ鳥居をくぐるとバス停はすぐだ。

裏口?から本殿へ

下鴨神社へは、上賀茂神社前からバスがある。20分ぐらいで下鴨神社前に着く。すぐに参道があるのでそこから入ったのだが、西参道といういわば「裏口」のような参道と後で知った。ただ、本堂には近い。
西参道を入るとすぐに「大炊殿」という建物の前を通る。名前の通り、ご飯を作るところで、ここでは神の食事(お供え)を作る。1470年(文明2年)に焼失したが、再建されたものだという。


進むと、三井神社の前を通り、下鴨神社境内に入に着く。最初に見たのは「神服殿」で、御神服を作っていた場所だという。その隣が「舞殿」という。ともに重要文化財になっている。

下鴨神社舞殿

舞殿の前が「中門」。ここをくぐると「本殿」の前に出る。


入ると、小さな社がたくさんある。「言社」というそうで、十二支の名前を書いた札が立っている。「えとの社を参拝してください」とあったので、探して参拝した。守護神は大物主神だった。

下鴨神社十二支言社

言社の先が「幣殿」。ここから本殿をお参りする。本殿は東西2つあって、ともに国宝。お参りしてきた。

下鴨神社幣殿。この奥に本殿がある

みたらし団子の由来の池?

下鴨神社のついて簡単に。同神社HPなどによると、祭神は西本殿が賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、東本殿が玉依媛命(たまよりひめのみこと)。上賀茂神社でも出てきた名前だ。賀茂建角身命は、古代の京都を開いた神といい、京都の守護神として祀られているという。
神話によると、玉依媛命が鴨川で禊をされているときに、流れて来た丹塗の矢を拾い、床に置いておいたところ、矢は美しい男神になって結婚したという。上賀茂神社では子を授かったとなっていたが…神代のことなので何とも言い難い。
崇神天皇7年(紀元前90年)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという記録があり、それ以前の古い時代から祀られていたと思われるという。相当な歴史がありそうだ。
幣殿の横から格子の入ったガラス越しに中を少し見られた。たぶん、東本殿の一部が見えたのだと思う。


中門を出て左に行く。「御手洗(みたらし)川」という小川が流れていて、その上に立つのが「橋殿」。こうした建物も上賀茂神社とそっくりだ。


橋を渡ると「細殿」がある。天皇や上皇が来た際の御所になる建物だという。現在のものは1628年(寛永5年)に造られた。

御手洗川が流れ出るところが「御手洗(みたらし)池」という。その湧き水の泡を象ったのが「みたらし団子」なのだそうだが、さて。
近くに「解除所(げじょどころ)」とあった。かつて天皇家の女性が斎王として神社にいたそうで、その代理の斎王代が葵祭のヒロインでよくニュースで見る。その斎王代が禊をするのだという。葵祭をまだ見たことがないのが残念だった。

下鴨神社解除所

中門に戻り「楼門」から境内を出る。この門も朱塗りの2階建て、りっぱな門だ。ここから表参道が「糺の森」を通ってずっと伸びている。この表参道を上ってきて、この楼門をくぐるのが本来のルートだ。

1995年登録

  1. この記事へのコメントはありません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。