ミケーネとティリンスの古代遺跡(ギリシャ) ミケーネ
黄金のマスクが見つかった場所
獅子の門の右に城壁に接した建物の遺構がある。「穀物倉」と言われている。門番の宿泊所だったといわれるが「地下で貯蔵用の壺が発見されて、中に穀物の後があった」(ガイド)ことから、穀物の貯蔵庫の役割も果たしていたようだ。
その隣に広がるのが「円形墓域A」。ここがミケーネを大発見にした場所でもある。
直径約28㍍の円形に石が積まれ、外側は2重に石板を立てて囲っている。シュリーマンはこの中で竪穴式の墓6基を発見した。全部で19体の遺骨(男性8体、女性9体、子供2体)が発見された。黄金の衣装をまとい、うち5体には黄金のマスクが被せられていた。
金銀銅や象牙の宝飾品、冠や帯、刀剣など数々の副葬品も発見され、黄金製だけでも14㌔にもなったという。
これらの副葬品は、アテネにある国立考古学博物館に収められ「ミケーネの間」で見ることができる。ツアーに行く前に見てきたが、帰ってきてからでも楽しめるので、ぜひ見に行くことをお勧めする。
もっとも「出来の良い」? マスクは「アガメムノンのマスク」とも呼ばれているが、実際にはガイドブックによると「王族であることぐらいしかわかっていない」そうだ。
廃墟になった宮殿、神殿、建物群
ここから、坂道を上がっていく。円形墓域Aの横には建物群の遺構。「戦士の壺の館」「傾斜路の館」「土偶の館」などと、発掘物や形からネーミングされている。土台しか残っていない。
丘の頂上が、かつての「宮殿」の跡。けっこう広い敷地があるが、大きな石が無数に転がっているだけで、廃墟になっている。
素人には土台の石の並びや、その他の石との区別などが分からないので、雑然と石があるようにしか見えないのだが、玉座の部屋や、主室、寝室などが特定されているという。
隣接して「神殿」もあったようだ。そこもただ石が残っているだけだが。
そこから下りながら、奥に進む。このあたりも、建物の跡が続く。土台の石が残っていたり、石積みが少し残っていたり。説明板を見ると「BUILDING GAMMA」「DELTA」など、ギリシャの数字がついている。
「列柱の家」という建物跡。王族の屋敷跡だという。下水設備もあったそうで、高度な技術が3000年以上前にあったようだ。でも、やはりどう見たらいいのか、分からなかった。
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