
ミケーネとティリンスの古代遺跡(ギリシャ) ミケーネ

アテネ考古学博物館ミケーネの部屋

金銀銅や象牙の宝飾品、冠や帯、刀剣など数々の副葬品も発見され、黄金製だけでも14㌔にもなったという。

これらの副葬品は、アテネにある国立考古学博物館に収められ「ミケーネの間」で見ることができる。ツアーに行く前に見てきたが、帰ってきてからでも楽しめるので、ぜひ見に行くことをお勧めする。


もっとも「出来の良い」? マスクは「アガメムノンのマスク」とも呼ばれているが、実際にはガイドブックによると「王族であることぐらいしかわかっていない」そうだ。


廃墟になった宮殿、神殿、建物群
ここから、坂道を上がっていく。円形墓域Aの横には建物群の遺構。「戦士の壺の館」「傾斜路の館」「土偶の館」などと、発掘物や形からネーミングされている。土台しか残っていない。
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戦士の壺の館(右)
丘の頂上が、かつての「宮殿」の跡。けっこう広い敷地があるが、大きな石が無数に転がっているだけで、廃墟になっている。

宮殿跡
素人には土台の石の並びや、その他の石との区別などが分からないので、雑然と石があるようにしか見えないのだが、玉座の部屋や、主室、寝室などが特定されているという。

隣接して「神殿」もあったようだ。そこもただ石が残っているだけだが。

そこから下りながら、奥に進む。このあたりも、建物の跡が続く。土台の石が残っていたり、石積みが少し残っていたり。説明板を見ると「BUILDING GAMMA」「DELTA」など、ギリシャの数字がついている。

「列柱の家」という建物跡。王族の屋敷跡だという。下水設備もあったそうで、高度な技術が3000年以上前にあったようだ。でも、やはりどう見たらいいのか、分からなかった。

獅子の門から一番奥にあるのが「貯水池」。今のミケーネは乾燥した感じなのだが、3000年前はどうだったのだろうか。丘の上なので、水の確保には苦労したのだろう。裏門に当たる「出陣の門」もある。

そこから、獅子の門に戻る。城壁内をぐるっと回れるように道もできている。途中、少し簡素な造りの「北門」があった。地図を見ると、防御のためか、門は少なかった。

建物の復元などはされておらず、石ばかりで荒涼とはしているが、伝説からよみがえった都の風情は感じる。獅子の門から外に出た。

城壁の少し外側、駐車場の近くでは「円形墓域B」も発掘されており、ここには24基の竪穴墓が見つかっている。黄金製の副葬品なども埋葬されていたという。
蜂の巣のような石積みの巨大墓
少し離れたところにある「アトレウスの宝庫(Treasury of Atreus)」という墓の遺跡に立ち寄った。「アガメムノンの墓」とも呼ばれ、ミケーネでは最大級の大きさを誇る。
アガメムノンの墓が2つ出てきてどっちか分からないが、副葬品が満載だっただろうと思われるので宝庫という言い方をしているのだろう。

アトレウス宝庫
入口に向かう通路の両側、墓の正面のファサードは高さ約11㍍、長方形の石が整然と積み上げられている。ファサードには三角形のものがはめ込まれていたであろう、空洞がある。「獅子の門と同じような彫刻などがあったといわれます」とガイド。
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