古都京都の文化財(日本) 龍安寺、仁和寺(洛西)
京都駅~金閣寺道バス停~きぬかけの路~龍安寺~仁和寺
古都京都の中で「洛西」と呼ばれている地域には、世界遺産登録の寺が5つある。金閣(鹿苑寺)は以前紹介した。通称「きぬかけの路」に沿って、歩いても巡れるのが、そのうちの金閣、龍安寺、仁和寺の3つ。2度に分けていったのだが、1日あれば一度で見て回れる。
龍安寺には40数年前の修学旅行以来の2019年、行ってみた。
京都駅からバスで約30分、「金閣寺道」で下りた。「龍安寺前」に行くバスはあるが本数は少ないので「金閣」を出発点に、きぬかけの路を歩くことにした。
バス停から少し上ると金閣の入口に。金閣は2009年に来ているので、その前を通るきぬかけの路を歩き始めた。狭い片側1車線、歩道も広いとは言えない。アップダウンもある。20分ほどで「龍安寺」に着く。
謎の石庭で有名な寺
ちょうど紅葉が見ごろになる少し前ぐらい。もみじは赤く染まってきていた。入口は「山門」。小ぶりな門だ。
そこから、左に「鏡容池」と紅葉を見ながら、世界的にも有名は石庭のある「方丈」までぶらぶらと歩く
方丈と棟続きになっている「庫裡(くり)」から入る。本来は台所だそうで、禅宗では玄関として使われている。
龍安寺のHPなどによると、創建は1450年。室町幕府の管領細川勝元が譲り受けた山荘に、妙心寺の義天禅師を招いて開山した臨済宗妙心寺派の禅宗寺院。細川勝元と山名宗全が東西に分かれて戦った応仁の乱(1467~78年)で焼失したが、勝元の子の政元が再建した。
方丈は1499年に建立され、石庭はこの時に造られたと伝えられている。方丈は1797年に焼失し、龍安寺の塔頭(たっちゅう)西源院の方丈を移築したのが現在の方丈という。
庫裡から方丈にまっすぐ行って石庭を見ることもできるが、方丈の裏を回り込んでいく順路で歩いていく。桃山時代に侘助という者が朝鮮から持ち帰った、日本最古ともいわれる「侘助椿」。残念ながら春の花なので、紅葉の時期は咲いていない。
庭に「つくばい」が置いてある。茶室に入る時に手を洗うためのもの。水をためる中央が四角くなっていて、四方に文字が書いてある。水が入った四角部分を口という文字(部首)に見立て、上から時計回りに読むと「吾唯足知」となり「われ、ただたるをしる」という釈迦の言葉になる。水戸黄門、徳川光圀の寄進という。
方丈の裏から回りこみ、方丈に入ると目の前に広がるのが、特別名勝の「石庭」。幅25㍍、奥行き10㍍、白砂に石が配置されている。多くの謎を秘めた庭として知られている。
作者も作庭意図も不明
龍安寺HPによると、石庭には謎が4つあるという。
「刻印の謎」。作庭した人が分かっていない。開山にかかわる細川勝元、義天禅師や、絵師の相阿弥など諸説あるそう。石の裏に「小太郎・○二郎」の刻印があるが作者とは断定できないという。
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