
古都京都の文化財(日本) 龍安寺、仁和寺(洛西)

方丈から眺めると、どこから見ても15個すべての石を見ることができないという。石の形も様々。意図的なのだろうが、意味は分からない。
修学旅行の時のパンフレットがアルバムに残っていた。「静かに座って石庭と問答してください。ただ石と砂だけをもって禅の悟りを表現し無限の教えを我々に語っています…」。見る人の思想・信条によって様々な解釈があるという。じっと見ていたら何か気づくことがあるだろうか。

1976年当時の石庭
方丈の一角に視覚障がい者が手で触って石庭の位置の配置や様子を知るためのミニチュアが、点字の説明板とともにあった。誰でも石庭の良さを知ることができる配慮に感心した。

悠然と立つ二王門、五重塔
龍安寺を出てきぬかけの路に戻る。さらに先に進むと、10分ほどで「仁和寺」に着く。今回は中に入らなかったが、金閣に行った時と同じ年、「京の冬の旅」開催中で「金堂」「経蔵」の特別拝観があった2009年、行ってみた。
「仁和寺にある法師…」で始まる「徒然草」の中の1話は、私の習った中学の教科書に載っていた。
仁和寺の法師が、念願かなって石清水八幡宮に行った際に、山の下にある寺社を見て帰り「長年の思いを成し遂げた。山の上に行く人がいたが何かあるのだろうか」と首をひねったという話。実は肝心の八幡宮は山の上にあり、法師は見損なってしまったのだが、そうと気づかない様子に作者の吉田兼好は「ちょっとしたことでも先導役がいたらよかったのに」と感想を書いている。
その仁和寺、「二王門」というりっぱな門をくぐって参道へ。仁和寺の正面に建つ巨大な門。高さは18.7㍍で重層、入母屋造、本瓦葺。見られなかったが、門正面の左右に阿吽の仁王像が2体、「二王像」が置かれる。
江戸時代初め、将軍徳川家光の寄進といい、同時期に建立された知恩院三門、南禅寺三門が禅宗様に対して、平安時代の伝統を引く和様で統一されているという。

参道を進み、中門をくぐって行くと右手に「五重塔」。江戸時代1644年に建立され、高さ36㍍。仁和寺のHPによると塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されている。

特別拝観で急いでいたので、二王門、五重塔にはちょっと足を止めて姿を眺めただけで、「金堂」に向かった。
きらびやかな金堂、おごそかな経蔵
金堂は、見るからに優美な建物だ。

堂内には本尊の「阿弥陀三尊」を安置し、周囲の壁面には仏教画が描かれている。堂内は撮影禁止だったので、入場券にあった阿弥陀三尊像で、きらびやかさがお伝えできれば。

寛永年間(1624〜43年)に、御所内裏(だいり)の紫宸殿(ししんでん)を移築した。現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝える建築物として、国宝に指定されている。

軒下、梁の先端は金で飾られ、瓦も独特な感じがした。紫宸殿は平安京内裏の正殿で、公事を行っていた。

金堂の隣にあるのが「経蔵」。ここも特別拝観できた。内部は撮影禁止。中に入ると、中央に大きな八角柱のタンスのようなものがある。回転式書架(輪蔵)で、各面に96箱、総計768の経箱に「一切経」というお経が収められている。

輪蔵は回転するという。1回回すと、収められているお経全部を読んだことになる。チベット仏教の「マニ車」と同じ功徳を得られるそうだ。壁面の菩薩像などの仏教画が素晴らしい。
めったに開けないからか、きれいに残っているだろうか。一角には釈迦如来、文殊・普賢菩薩などを安置している。厳かな空間だった。
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