アテネのアクロポリス(ギリシャ)

プロピレア(前門)

目の前にそびえる神殿

プロピレアをくぐると、目の前が大きく開ける。目の前に青空の中に立つパルテノン神殿。地面には、元は建物があったのだろう、数えきれないぐらいの礎石なのか、建物の残骸なのか、石が散らばっている。


西側の正面は修復中だった。ちょうど逆光でもあったので、反時計回りに神殿を回り込んだ。神殿外側の地面にもたくさんの石が転がっている。現地で買った日本語のガイドブックと、英語の説明板を見ながら歩く。


南側には、修復作業の様子を説明している塀がめぐらされている。残念ながら、内部、神殿内陣には入れない。いつもどこかの修復工事をしているようだ。見た目にも神殿の痛み具合はけっこう目に付く。


この神殿は元々王宮などがあったアクロポリスの丘に、紀元前8世紀ごろに聖域としてアテネの守護神アテナを祀る神殿(古神殿)が建てられた。
紀元前480年にペルシャとの戦いで荒廃した後、紀元前5世紀半ば以降にアテネの指導者ペリクレスの下、彫刻家フェイディアスの指揮によって、紀元前432年にできたパルテノン神殿や、その他の神殿、建物がつくられたという。

修復作業の解説

近郊の山から運んだ大理石の柱は前面8本、側面17本。底面の直径約2㍍、高さ約10㍍で、少し内側に傾いている。柱を延長していくと2㌔上空で交わり、巨大なピラミッド状になるという。パルテノン神殿と言えばこの柱だ。
柱は真ん中が少し膨らんだエンタシスと呼ばれる形で、日本の法隆寺の柱もこの形になっていると習った記憶がある。見た目(目の錯覚)、強度などが計算され、均整と調和のとれた美しい造りになっている。


柱の上部、軒下部分は神殿外側全体を92枚のメトープ(浮彫の板)で飾られていた。トロイ戦争やケンタウロス族、アマゾネス族との戦いなどが描かれているといい、今もところどころに残っている。東側に回りこんだ。


順光で大理石の白い色が光って見える。東側の屋根の下の壁面、三角形の破風には、赤、青、金で彩色されたアテネの守護神アテナの生誕物語の彫刻で飾られていたとされる。今はほとんど残っていない。


修復中だった西側の破風には街の支配を争ったアテナとポセイドンの神話が描かれていたそう。街の守護神争いで、市民にオリーブの木を贈ったアテナが、大地に三叉鉾を突き刺して塩水を湧かせたポセイドンに人気投票で勝った。


神殿周囲の地面は岩が露出していて歩きにくい。156㍍の丘で吹きさらしのため、風も強く砂埃も舞っている。神殿の隣には小さな「アウグストゥス神殿」の柱が残っている。
ローマ帝国、オスマン帝国(トルコ)などの支配を受け、神殿は教会になったり、モスクになったり、攻撃を受けたり、内部で爆発があったりと、1830年に独立したギリシャという国ともども、破壊と悲劇の歴史を歩んできた。

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