
アテネのアクロポリス(ギリシャ)

すぐ右下に見えるのが「イロド・アティコス音楽堂」。161年に大富豪が寄贈した野外劇場で、5000人収容。今も現役で使われている。

左下にはギリシャ最古の劇場「ディオニソス劇場」がある。ディオニソスは酒と演劇の神。紀元前534年に造られ、1万5000人収容の大きさだったという。

「ブーレ門」をくぐると、登り坂に観光客が列を成していた。ジグザグに登っていく。ゆっくり進んでいくので、左右の建物を見る余裕もある。

ブーレ門
右手の基壇の上に建っているのが「アテネ・ニケ神殿」。紀元前424年に造られた。アテナはアテネの守護神、ニケは勝利の女神。ニケは通常、翼を持っているが、勝利の女神が飛んでいなくならないように翼を切り落として祀ったという。
軒下の壁面にはきれいな彫刻が残っている。ギリシャとペルシャの戦いの場面だというが、ちょっと遠目でよくわからなかった。

アテナ・ニケ神殿(右)
左手には古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの婿アグリッパの像が置いてあった「アグリッパの台座」や「ピナコテカ(絵画館)」がある。
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ピナコテカとアグリッパの台座(左)
ゆっくり進んで20分ほど、パルテノン神殿への最後の門「プロピレア(前門)」をくぐる。門というよりは、大きな建物だったようだ。紀元前433年に完成したという。
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プロピレア(前門)
目の前にそびえる神殿
プロピレアをくぐると、目の前が大きく開ける。目の前に青空の中に立つパルテノン神殿。地面には、元は建物があったのだろう、数えきれないぐらいの礎石なのか、建物の残骸なのか、石が散らばっている。

西側の正面は修復中だった。ちょうど逆光でもあったので、反時計回りに神殿を回り込んだ。神殿外側の地面にもたくさんの石が転がっている。現地で買った日本語のガイドブックと、英語の説明板を見ながら歩く。

南側には、修復作業の様子を説明している塀がめぐらされている。残念ながら、内部、神殿内陣には入れない。いつもどこかの修復工事をしているようだ。見た目にも神殿の痛み具合はけっこう目に付く。

この神殿は元々王宮などがあったアクロポリスの丘に、紀元前8世紀ごろに聖域としてアテネの守護神アテナを祀る神殿(古神殿)が建てられた。
紀元前480年にペルシャとの戦いで荒廃した後、紀元前5世紀半ば以降にアテネの指導者ペリクレスの下、彫刻家フェイディアスの指揮によって、紀元前432年にできたパルテノン神殿や、その他の神殿、建物がつくられたという。

修復作業の解説
近郊の山から運んだ大理石の柱は前面8本、側面17本。底面の直径約2㍍、高さ約10㍍で、少し内側に傾いている。柱を延長していくと2㌔上空で交わり、巨大なピラミッド状になるという。パルテノン神殿と言えばこの柱だ。
柱は真ん中が少し膨らんだエンタシスと呼ばれる形で、日本の法隆寺の柱もこの形になっていると習った記憶がある。見た目(目の錯覚)、強度などが計算され、均整と調和のとれた美しい造りになっている。
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