モスタル旧市街の古橋地域(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

モスタル~スタリ・モスト

橋の上から川に飛び込んで、美しさを競う。それが、街の伝統だという。

民族融和と伝統を守るために戦争で破壊された橋を修復した、モスタルという街に2009年、行ってみた。

旧ユーゴスラビア解体に伴う激しい内戦に見舞われたクロアチアから国境を越え、最も激しい内戦があったボスニア・ヘルツェゴビナに入った。

街に残る内戦の爪痕

モスタルの駐車場でバスを降りると、すぐに目の前にも1993年にあった内戦の爪跡がある。旧市街の入る道の途中にあるアパートの壁には、生々しい弾痕がまだ残っている。

「歴史を残す意味もあるのでしょうが、費用や住む人のこともあって全部修理できないのです」とガイドが説明する。一軒家にはもっとすさまじい銃弾を浴びた痕跡が残っている。

旧市街に入り、町の象徴と言える橋に向かう。左右には土産物店が建ち並ぶ。観光地としては普通の風景だが、ちょっと路地をのぞくと家の壁にまた弾痕。

橋が落とされるぐらいだから、ここは内戦の時には戦略上も重要な土地だったゆえに、激戦地になったのだろう。

城門のようになった建物を通り抜けると橋のたもとに着く。左側に見落としてしまいそうな小さな石碑が置かれている。

 激しい内戦で壊された橋

手彫り?で「Don’t forget 1993」と書かれている。橋が破壊された年だ。

街を流れるネレトバ川にかかる橋は「スタリ・モスト(古い橋)」と呼ばれる。16世紀、オスマントルコの時代に架けられたという。

モスタルという街の名前も「橋を守る人」の意味だというから、この地の人たちの橋への思いは強そうだ。破壊された経緯を調べてみたら、少し複雑だった。

91年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言し、ユーゴスラビア軍が街を包囲。92年に同じく独立宣言したクロアチアがユーゴ軍を追い払ってモスタルの西側を支配し、東側のボスニア軍を対峙。93年、クロアチア軍の砲撃によって破壊された。

橋の長さ(34メートル)からいってネレトバ川の川幅は30㍍ほどだろうか。仮の橋ならすぐ架けられそうだし、渡るだけなら橋がなくても大きな影響はないように思える。

街のシンボルを破壊すること自体に意味があったのかもしれない。クロアチア系、ムスリム系が交じって住んでいたが、いまは別れて暮らしているという。

橋は95年から修復が始まり、昔と同じ方法で切り出された石を使って、2004年にほぼ原型通りにかけ直されたという。

新しい橋とはいえ、そこに至る経緯も加味して、05年世界遺産に。約400年続いていた伝統の飛び込みも復活した。

日本の眼鏡橋の片割れのようなアーチ状の橋を渡るには上って下るため、滑らないように足元が引っかかる階段状になっている。見た目よりも急傾斜だ。

橋が生み出す見事な景観

橋の「頂上」からの見晴らしはいい。上流を見ると、17世紀に建てられたコスキ・メフメッドパサモスクが右手に見える。渡ると、古めかしい建物が軒を連ねている。

左手はクロアチア系の街なのだろうか。建物の屋根には瓦ではなく、石を平たく割って載せてある。

川に沿うように上っていくと、橋の全景を見られるビューポイントがある。橋を真ん中に、深緑色の川、白壁にオレンジ瓦の家、ゴツゴツした岩が露出する山が背後にそびえる風景を切り取れば、これが「絵のような」というものかもしれない。曇天だったので、これに空の青さが入れば満点か。

伝統の飛び込みの復活

帰り道、橋を渡っていると、突然後ろで拍手が上がった。男性(たぶんモスタルの住人)が水着になって欄干に上り、20㍍ほどある下の川に飛び込んだ。

五輪の高飛び込みは10メートルだから、その倍。飛び込み大会の練習だったのだろうか、観光客相手のパフォーマンスだったのだろうか。

高飛び込みは宙返りやひねりなどの技を競うが、こちらは「勇気」を示すところから始まったといい、静止した空中姿勢の美しさで採点し、頭からきれいに着水することを良しとしているそう。

橋の上から川面をのぞき込んでみたが、相当な「勇気」が必要な高さではあった。

2005年登録

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