サンクトペテルブルグ歴史地区と関連建物群(ロシア) エカテリーナ宮殿・ピョートル夏の宮殿
サンクトペテルブルグ~エカテリーナ宮殿~ピョートル夏の宮殿
2012年、「青空の博物館」といわれる世界遺産満載のサンクトペテルブルグの市街地を離れ、郊外にある2つの宮殿に向かった。
「エカテリーナ宮殿」はツァールスコエ・セロー、「ピョートル大帝夏の宮殿」はペテルゴフにあり、渋滞にもよるが市街から高速道路で2時間程度で着く。
エカテリーナ宮殿から入った。ツァールスコエ・セローは「皇帝の村」という意味だという。
門をくぐり、金色のネギ坊主を持つ教会の下を通って巨大宮殿の前に出る。外壁は青と白。清楚なたたずまいに見える。
黄金がふんだんの贅沢三昧宮殿
ギリシャ神話で天空を支えていたアトラスの彫像が柱を持ち上げているから、外壁の色は空と雲をイメージしているのだろうか。
内部は贅を尽くしたものだ。入り口の階段は大理石で作られ、初期の有田焼の大きな壺が飾られている。
踊り場の東側に「目覚めるキューピッド」、西側に「眠れるキューピッド」の像がほほえましい。
大広間に入ると、壁には菩提樹の彫刻などが施され、その上を7㌔の金箔で覆っている。「金ぴか」だ。
随所に鏡をはめ込み「部屋を大きく見せるようにしていた」とガイド。天井画は豪快に1枚のキャンバスになっている。
日本の江戸時代、大黒屋光太夫がアリューシャン列島に漂着し、1791年にエカテリーナ2世に謁見、帰国を許された場所でもある。
宮殿はピョートル大帝の后で大帝後に即位するエカテリーナ1世のために作られた。その後、エリザベータ、エカテリーナ2世が改築した。
ハイライトは「琥珀の間」。プロイセンからピョートル大帝に贈られた琥珀のモザイクを、エカテリーナ2世が組み立て、部屋を作った。
復元された琥珀の間は必見
第2次大戦で占領したドイツ軍が撤退の際にはがして持ち去ったが、オリジナルがどこに消えたかは不明だという。
資料を基に5万年以上前のバルト海沿岸産琥珀15平方㍍を使って復元が開始され、24年かけて2003年に完成した。写真撮影は禁止。
「息がこもるのもよくないので、息を止めて、じっくり見ながら、立ち止まらずにさっと通り抜けてください」(ガイド)という難しい注文で、詳しいデザインなどはよくわからなかったが、きらびやかさは味わえた。
金箔60㌔を使った400㍍の直線に並ぶ続きの間、赤や緑など色の名前がついた部屋などエルミタージュとは違った「びっくり」をさせられる。
ここは外の庭園も見所になっている。大池の周囲には瀟洒な小宮殿、彫刻などが配置されていた。10月初旬、ちょうど黄葉シーズンだったので、宮殿の青と白、木々の黄色が絶妙のバランスだった。
夏の宮殿の豪華さに圧倒
ペテルゴフは「ピョートルの家」という意味らしい。ここにある「夏の宮殿」ではさらに圧倒される。大宮殿と噴水を配した庭園が名高い。
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