アテネのアクロポリス(ギリシャ)

アテネ・シンタグマ駅~モナスティラキ駅~アドリアヌスの図書館~古代アゴラ~ローマン・アゴラ~アクアポリス~新アクロポリス博物館

アテネ(Athens、アテナイ)のアクロポリス(Acropolis)の丘に凛として立つ「パルテノン神殿(Parthenon)」。一度は目にしてみたい世界遺産の上位に入る。2019年、アテネ中心部から歩いて行ってみた。


アテネの中心、シンタグマ(Sindagma)広場間近のホテルを出て、アテネ一の繁華街というエルムー(Ermou)通りを西へ向かう。土曜日の朝8時前、高級店も百貨店も閉まっていた。
15分ぐらいで着くモナスティラキ( Monastiraki)広場周辺は、土産物やレストラン(タベルナ、Tavern)が集まっていて、こちらは朝早くでも少しにぎやか。モナスティラキ広場からアクロポリスの丘の方向、アレオス(Areos)通りに歩いていくと、さっそく遺跡がある。

市民の広場、アゴラの遺跡

「アドリアヌスの図書館」。ローマ皇帝の1人でイタリアでは「ハドリアヌス」と読む。8時開門とあったが、もう過ぎているのに開いていない。柵の間から列柱を見て先に進むことにした。


アレオス通りの右手には古代ギリシャ時代の「古代アゴラ(Agola)」が広がっている。アゴラは市民の広場で行政機関や集会所、市場など市民の政治、経済、文化の中心地だった。
ここで、パルテノン神殿などがセットになった入場券(30ユーロ)を購入する。空いていたので、並ばずに買えた。セット券を買うなら、空いていそうなところで買うのをお勧めする。

「アグリッパの音楽堂」

「ストア(中央廊)」「アグリッパの音楽堂」など紀元前の建物が点在する。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ピタゴラス、アルキメデスといった古代ギリシャの哲学者、科学者もここで議論を交わしたのだろうか。

「ストア」

小高くなっているところに建てられている「ヘファイストス神殿」は、紀元前450年ごろとパルテノン神殿をと同時期に建てられたとされる。ギリシャにある神殿の中で一番原形を残しているのだという。

ヘファイストス神殿

アクロポリスの丘に近い出口があると思ったが、見つけられず、元の出入り口に戻って、アレオス通りをまた歩き始めると、左手にもう1つのアゴラ、「ローマン・アゴラ」がある。共通チケットで入れるので行きがけの駄賃に寄った。

ローマン・アゴラ

名前の通り、ローマ時代にできたアゴラ。「風の塔」という八角形の建物が印象的で、各面の最上部にあるのは風を擬人化した彫刻だという。

ローマン・アゴラ「風の塔」

アクロポリスの丘にたどり着くまでに、世界遺産登録されていないながらも見どころはたくさんあるので、けっこう時間がかかる。2時間以上経過していた。
アクロポリスの丘に向けてローマン・アゴラから登り始めた。一部急坂があるが、だらだらと15分ほど登っていくと、パルテノン神殿の入り口に着く。

パルテノン神殿までの道

思った通り、チケット売り場には列ができている。こちらはセット入場券があるので直接入口に行ったのですぐに入れた。また緩やかな坂を登り始める。


すぐ右下に見えるのが「イロド・アティコス音楽堂」。161年に大富豪が寄贈した野外劇場で、5000人収容。今も現役で使われている。


左下にはギリシャ最古の劇場「ディオニソス劇場」がある。ディオニソスは酒と演劇の神。紀元前534年に造られ、1万5000人収容の大きさだったという。


「ブーレ門」をくぐると、登り坂に観光客が列を成していた。ジグザグに登っていく。ゆっくり進んでいくので、左右の建物を見る余裕もある。

ブーレ門

右手の基壇の上に建っているのが「アテネ・ニケ神殿」。紀元前424年に造られた。アテナはアテネの守護神、ニケは勝利の女神。ニケは通常、翼を持っているが、勝利の女神が飛んでいなくならないように翼を切り落として祀ったという。
軒下の壁面にはきれいな彫刻が残っている。ギリシャとペルシャの戦いの場面だというが、ちょっと遠目でよくわからなかった。

アテナ・ニケ神殿(右)

左手には古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの婿アグリッパの像が置いてあった「アグリッパの台座」や「ピナコテカ(絵画館)」がある。

ピナコテカとアグリッパの台座(左)

ゆっくり進んで20分ほど、パルテノン神殿への最後の門「プロピレア(前門)」をくぐる。門というよりは、大きな建物だったようだ。紀元前433年に完成したという。

プロピレア(前門)

目の前にそびえる神殿

プロピレアをくぐると、目の前が大きく開ける。目の前に青空の中に立つパルテノン神殿。地面には、元は建物があったのだろう、数えきれないぐらいの礎石なのか、建物の残骸なのか、石が散らばっている。


西側の正面は修復中だった。ちょうど逆光でもあったので、反時計回りに神殿を回り込んだ。神殿外側の地面にもたくさんの石が転がっている。現地で買った日本語のガイドブックと、英語の説明板を見ながら歩く。


南側には、修復作業の様子を説明している塀がめぐらされている。残念ながら、内部、神殿内陣には入れない。いつもどこかの修復工事をしているようだ。見た目にも神殿の痛み具合はけっこう目に付く。


この神殿は元々王宮などがあったアクロポリスの丘に、紀元前8世紀ごろに聖域としてアテネの守護神アテナを祀る神殿(古神殿)が建てられた。
紀元前480年にペルシャとの戦いで荒廃した後、紀元前5世紀半ば以降にアテネの指導者ペリクレスの下、彫刻家フェイディアスの指揮によって、紀元前432年にできたパルテノン神殿や、その他の神殿、建物がつくられたという。

修復作業の解説

近郊の山から運んだ大理石の柱は前面8本、側面17本。底面の直径約2㍍、高さ約10㍍で、少し内側に傾いている。柱を延長していくと2㌔上空で交わり、巨大なピラミッド状になるという。パルテノン神殿と言えばこの柱だ。
柱は真ん中が少し膨らんだエンタシスと呼ばれる形で、日本の法隆寺の柱もこの形になっていると習った記憶がある。見た目(目の錯覚)、強度などが計算され、均整と調和のとれた美しい造りになっている。


柱の上部、軒下部分は神殿外側全体を92枚のメトープ(浮彫の板)で飾られていた。トロイ戦争やケンタウロス族、アマゾネス族との戦いなどが描かれているといい、今もところどころに残っている。東側に回りこんだ。


順光で大理石の白い色が光って見える。東側の屋根の下の壁面、三角形の破風には、赤、青、金で彩色されたアテネの守護神アテナの生誕物語の彫刻で飾られていたとされる。今はほとんど残っていない。


修復中だった西側の破風には街の支配を争ったアテナとポセイドンの神話が描かれていたそう。街の守護神争いで、市民にオリーブの木を贈ったアテナが、大地に三叉鉾を突き刺して塩水を湧かせたポセイドンに人気投票で勝った。


神殿周囲の地面は岩が露出していて歩きにくい。156㍍の丘で吹きさらしのため、風も強く砂埃も舞っている。神殿の隣には小さな「アウグストゥス神殿」の柱が残っている。
ローマ帝国、オスマン帝国(トルコ)などの支配を受け、神殿は教会になったり、モスクになったり、攻撃を受けたり、内部で爆発があったりと、1830年に独立したギリシャという国ともども、破壊と悲劇の歴史を歩んできた。

アウグストゥスの神殿跡

女性像が頭で支える神殿

神殿の先に、ギリシャ国旗がはためく展望所でアテネの街を見下ろした後、北側に回る。

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