サンクトペテルブルグ歴史地区と関連建物群(ロシア) サンクトペテルブルグ市街

イサク聖堂~ネフスキー大通り~カザン聖堂~血の上の救世主教会~マリインスキー劇場

サンクトペテルブルグは、周辺も含めて40近い構成世界遺産があり、街道や航路なども入っている。

その中の1つ「サンクトペテルブルグ歴史地区」はエルミタージュ美術館と宮殿前広場から東に伸びるネフスキー大通りを中心に、市街地に点在する37の建造物などが含まれている。
プーシキン像がある芸術広場を囲むようにあるロシア美術館、グランドホテル・ヨーロッパ、パッサージュ百貨店など、世界遺産の建物は街のあちこちにあるので油断できない。

芸術広場プーシキン像

ここは元々、バルト海(フィンランド湾)に注ぐネヴァ川の河口の沼地。ピョートル1世(以下大帝)は若いころにドイツの造船所で身分を隠して働くなど、欧州を見聞し、ロシアの立ち遅れを実感した。

沼地に杭を打ち、街を建設

「西ヨーロッパに開かれた窓」として建設されたこの街は、1703年に完成し、都も移した。ヨーロッパに負けない街づくりには戦争捕虜や農奴らが動員され、湿地に木の杭を打ち、石で埋めて都市の基礎を造った。
数万人が命を落とす難工事だったという。街中に大帝の像がたくさんあるが、デカブリスト広場にある「青銅の騎士像」は人気で「新婚カップルは必ずここで記念撮影をする」(ガイド)という。

騎士像の向こうに、高さ100メートルの金色のドームをもつ「イサク聖堂」がそびえている。内部には入らなかったが、モザイク画で飾られているという。
その前がイサク広場。19世紀の皇帝ニコライ1世の騎馬像が聖堂を見つめている。

台座には后と娘に似せた4人の女神像があるが、長女マリアは自分の像が父の乗る馬のお尻の下にあることが不満で、近くに建てられた自分の宮殿に寄り付かなかったという。
大帝は、街建設に当たって防衛面でも諸国に「開かれてしまった」土地だけに、要塞、砦を周辺にたくさん築いた。
その中でも最も重要だったのが、ネヴァ川を挟んでエルミタージュ美術館(冬宮)の対岸にある「ペトロパヴロフスク要塞」。出島のようにネヴァ川に突き出ている。

要塞内にある「ペトロパヴロフスク大聖堂」の鐘楼は尖塔の高さ122メートルで、時計がついているのは珍しい様式という。工事中で中に入れなかったが、ここは要塞としてよりも、政治犯の牢獄として使用されていた。また、大帝はじめロマノフ王朝歴代皇帝の霊廟にもなっている。

要塞の前には運河をはさんで砲兵博物館と動物園。「インドから象が贈られたのですが、飼育方法がよくわからず、寒さをしのがせようとウオッカを飲ませたところ死んでしまったそうです」とガイド。笑話にならないかも。

怪僧ラスプーチン最後の地

貴族の宮殿も街中に点在している。ロシア料理ビーフストロガノフ発祥の「ストロガノフ宮殿」や、世界中の大理石を集めた「大理石宮殿」など。内部の保存状態がいい「ユスポフ宮殿」に入った。

エントランスは大理石、水晶のシャンデリアから圧倒され、「赤の客間」「青の客間」など1部屋ずつ違うイメージ、設計の部屋の数々。家具の90%はオリジナルで、20万点の美術品があるという。

貴族もかなりの財力だったらしい。高価なゴブラン織りに見える絵、彫刻のように立体的に見える絵など「欧州貴族を驚かせるため」のだまし絵も多い。
1916年、当時権勢を握っていたラスプーチンがここで暗殺されたという歴史的な館でもあり、事件現場は地下にあった。

ネフスキー大通りに戻る。シンボル的存在が「カザン聖堂」。フランスのナポレオン軍を破った戦勝記念で建てられたという。
ドームの聖堂を中心に、柱は並ぶ半円形の回廊。どこかで見たような気がしてバチカンのサンピエトロ寺院を思い出した。

 

「ネギ坊主」の教会が建てられた理由

そこから運河沿いに行くと「血の上の救世主教会(スパス・ナ・クラヴィ)」にでる。ロシアらしいネギ坊主のドームを持つ教会が立ち並ぶ。ロウソクの炎を表すネギ坊主は金箔や七宝焼きで覆われ、外壁はモザイク画で飾られている。

この場所では、農奴解放を行った皇帝アレクサンドル2世が1881年に暗殺され、供養のために建てられた。
内部はキリストの奇跡を描いたモザイク画に埋め尽くされている。

ドーム天井に描かれたキリストは「どこから見ても目が合います」とガイド。見上げるとそんな気がしてきた。

夜。これも世界遺産になっている「マリインスキー劇場」へ。モスクワのボリショイと覇を競うバレエ団だが、ガイドは「新しい演目の初演はいつもここです」と自慢した。
バレエをみるのは初めてだったが、ストーリーが分かりやすい「ロミオとジュリエット」だったので助かった。

 

1990年登録

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