紀伊山地の霊場と参詣道(日本) 熊野三山と熊野古道
大阪~那智駅~大門坂~那智大社~那智の滝~熊野古道~新宮~熊野速玉大社~熊野本宮~熊野古道
熊野に初めて行ったのが1990年。このときは車で熊野本宮大社と那智の滝を見た。当時は世界遺産になっておらず、参詣道、通称熊野古道のこともよく知らなかった。あらためて歩いてみようと、大阪から特急電車に乗って2013年、行ってみた。
日本サッカー協会のマークが八咫烏なのは
那智駅で降りた。路線バスを待つ間、付近を散策。駅横には「日本サッカー発祥の地」の碑が建っている。
日本初のサッカー指導書を翻訳し、礎を築いた中村覚之助氏の生まれ故郷がここ那智の浜ノ宮。「熊野三山」の神で3本足の「八咫烏(やたがらす)」が日本サッカー協会のシンボルマークになったのもその縁だという。
駅前の信号を渡るとすぐに世界遺産の1つ「補陀洛山(ふだらく)寺」がある。約1400年前につくられたと説明書に。
寺名の由来になっている「補陀落」は観音様の住む浄土のことで、ここは浄土を目指す補陀落渡海の出発点だったという。
渡海といっても、密封された船で出るので、いずれ沈んで入水自殺ということになったそう。昔の船も飾ってあった。
後述するが「熊野古道」に点在する「九十九王子」という神社群の1つ「浜の宮王子」の守護寺でもあり、神仏習合の形になっているという。寺は残っているが、浜の宮王子は跡だけだった。
熊野古道の成り立ちは
熊野古道は、熊野三山に参詣するための道で、10世紀ころからつくられ始め、紀伊路(きいじ)、小辺路(こへち)、中辺路(なかへち)、大辺路(おおへち)、伊勢路(いせじ)が紀伊半島に張り巡らされている。参詣は奈良時代に始まり、主に天皇家などが中心だったが、江戸時代に庶民に広まり「蟻の熊野詣」といわれる最盛期を迎えた。
熊野古道に点在する「王子」というは神社で「九十九王子」と呼ばれる。99カ所あったわけではなく、九十九折のようにたくさんという意味だという。
バスで、今に残る熊野古道の中でも往事の雰囲気を残すという「大門坂」に向かった。大門坂の入口に近い停留所で降りた。聖域と俗界を分けるという「振ケ瀬(ふりかせばし)」を渡ると、両側に夫婦杉という大木。ここから石段を上る。
磨り減ってでこぼこしている石も多い。少し上ると、九十九王子の最後の王子「多富気王子」の跡がある。650㍍ある大門坂の2割も来ていない。
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